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Posted by 滋賀咲くブログ at

インプットの日

2010年03月24日

自分自身のために、週に一度は
インプットの日を設けるようにしています。

平日はほぼ毎日、セミナー講師の仕事を
していますが、これは引き出しの中から
材料を引っ張り出してアウトプットする日。
でも、こればかりでは材料が
どんどん無くなってきます。

そこで、インプットをする必要が出てきます。
本を読むのもよし、映画やコンサート、
美術館等に行き、感性を磨くのもよし、
セミナーに出かけていって知識を習得するのもよし、
人に会うのもよし。
過ごし方はバラエティに富んでいます。

本来は水曜日をインプットする日に充てているのですが、
今日は個別相談と職業紹介という
大事な仕事があります。
お会いする3人の皆さんの「明日につながれば」
いいなぁ~と思っています。
  


Posted by プリケ at 09:30Comments(0)ひとり言

ゲゲゲの女房

2010年03月24日

NHK連続テレビ小説が好きですicon22
若かった時はほとんど観なかったのですが、
8年前の「まんてん」から
ほぼ欠かさず見るようになりました。
「まんてん」→「こころ」→「てるてる家族」→「天花」→「わかば」→「ファイト」→「風のハルカ」→「純情きらり」→「芋たこなんきん」→「どんと晴れ」→「ちりとてちん」→「瞳」→「だんだん」→「つばさ」→「ウェルかめ」→これ以降は今後の番組:「ゲゲゲの女房」→「てっぱん」。

この話題、以前にもブログ(←ここをクリックしてください)
に書いたのですが、
現在放映中の「ウェルかめ」がまもなく終了し、
新しく「ゲゲゲの女房」がスタート。
「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるさんの
奥さまの自伝が原案だそうです。
さらに今回は、私のお気に入りの松下奈緒さんicon06主演
ということもあり、期待大face02


番組を観ていると、登場人物達の発信するメッセージが、
私の心の琴線に触れることがよ~くあります。
特に、主人公が「働く」ってどういうことかを
悩みながら考え成長していく姿は、
きっと今、就職活動をされている若い方々には
参考になるのではないかと思っています。
注意して見ていると登場人物達のセルフのあちこちに、
ヒントが散りばめられています。

さて、私、年をとるに伴い、
番組をみて涙することも多くなってきましたicon11icon11icon11
これまでの中では、「天花」によく泣かされて
しまいましたicon11icon11icon11
さて、新番組「ゲゲゲの女房」では、
どれぐらい涙ぐむことになるのでしょうか??
  


Posted by プリケ at 09:10Comments(0)プリケの趣味

四条烏丸のクラスの皆さん!ありがとうございました!!

2010年03月23日

今日は四条烏丸のクラスの最終回。
いつもながら最後の授業の日は
感慨深いものがあります。

特に今回のクラスは、これまでとは
少しやり方を変えてみました。
全4回だったんですけれど、
自分なりに工夫をしてみました。
結果的に良かったのかどうかは、
現段階ではよく分かりませんが。。。

クラスの皆さん!
授業はもうありませんが、
これからも遠慮なく、ご連絡くださいね。

そしてまたいつの日か、
会えることを楽しみにしております。
皆さん!どうもありがとうございました!!
  
タグ :四条烏丸


昭和プロレス

2010年03月23日

いわゆる<昭和プロレス>が好きである。
まだプロレスがゴールデンタイムに
テレビ放映されていた頃、
必死になってテレビにかじりついていたkao08

あの頃、昭和プロレスが好きという人には、
馬場派と猪木派がいたが、
私は断然、猪木派だったicon21
「燃える闘魂・アントニオ猪木」の試合を毎回、
食い入るように観ていた。
放映時間中は、たとえ友達から電話が
かかってきても居留守を使ったkao11

私にとって猪木のベストバウトは、
対ビル・ロビンソン戦である。
一本目を取られた猪木が、
時間ギリギリに起死回生の卍固めを
決めた試合を忘れることはできない。
今だからこそ、プロレスの諸事情が分かるが、
当時はただ単に試合そのものを楽しんでいた。

そう言えば、昔は強烈な個性を持ったレスラーが多かった。
印象に残っているレスラーといえば。。。

「鉄人」ルー・テーズ
「神様」カール・ゴッチ
「仮面貴族」ミル・マスカラス
「人間発電所」ブルーノ・サンマルチノ
「生傷男」ディック・ザ・ブルーザー
「鳥人」ダニー・ホッジ
「人間台風」ドン・レオ・ジョナサン
「死神」キラー・コワルスキー
「黒い魔神」ボボ・ブラジル
「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリック
「銀髪鬼」フレッド・ブラッシー
「白覆面の魔王」ザ・デストロイヤー
「人間風車」ビル・ロビンソン
「AWAの帝王」バーン・ガニア

う~む、キリがない。。。face02

そんなプロレス大好き人間だった私が、
これまで実際に会って言葉を交わし、
握手をしたプロレスラーが二人いる。
ひとりはアントニオ猪木さん。
路上でボーナス勧誘チラシを配布していた時に、
すぐ横に車が止まって、中から現れたその人が、
なんとアントニオ猪木さんface08
ずっとテレビを通してファンだっただけに、
ドキドキしたが挨拶をしたら、笑顔で握手をしていただいた。
当時はまだ残念ながら、
「闘魂注入(闘魂ビンタ)」はなかった。
しかし、さすがに間近に見た猪木さんは
大きかった!!kao07

そしてもう一人は、な、なんと、
千の顔を持つ男・仮面貴族ミル・マスカラスさんface08
メキシコのケレタロという町に滞在中、
プロレスを観に行ったのだが、
そこに来たのがミル・マスカラスさん!!
とても日本ではそばに行って話すことなんか
できなかった。
それほど当時の日本では彼は人気者だった。
「スカイ・ハイ」のテーマ曲にのって
さっそうと登場する姿は恰好良かった。

私は友人にマスカラスさんと話をさせてほしいと
駄目もとで頼んでみた。
すると、なんとOKの返事!!face02
ミル・マスカラスさんと話すことができるとは!!
この時初めてスペイン語を勉強していて
良かったと思った。
会ったら何を話そうか、あれこれと考えていたが、
実際に彼が目の前に現れた時は頭の中が真っ白になり、
ほんのわずかしか話すことができなかった。
でも彼とツーショットで撮った写真は、
私の一生の宝物!!icon22

最近はまったくと言っていいほど
プロレスを見なくなった。
かつての必殺技が、ただ単なるつなぎの痛め技に
なってしまった最近のプロレス、
あのゆとりを感じられなくなったプロレス。
懐かしき昭和プロレスは、今や私にとって、
<遠い思い出>になってしまった。
  


Posted by プリケ at 01:10Comments(5)プロレス

チャイさんへご伝言

2010年03月22日

チャイさん!先日、コメントいただいた件、
お返事をその下に書いておきましたので、
よろしくお願いいたします。
3月22日に書きましたコメントに従って
メールをお送りください。


というのも、ブログの右側にある
「オーナーへのメッセージ」から
<メッセージを送る>でお送りいただいても
どうも届かないようです。
理由は分からないのですが、今朝、私自身が
テストメールを送ってみたのですが、
現段階でまだ届いていません。

したがって、もしかして他の皆さんも
お送りいただいていたとしたら
届いていないかもしれません。
早急に原因を調べてみます。
申し訳ありません!!


  
タグ :ブログ


Posted by プリケ at 21:04Comments(0)ひとり言

ゴジラ映画ファンです

2010年03月22日

映画館で初めて観た映画は、
「キングコング対ゴジラ」。
小さい頃、それも大画面で観た初めての
映画だったので、インパクトは強烈だった。
おかげでいまだにゴジラ映画ファンである。

ゴジラ映画の最後は2004年の12月に公開された
「ゴジラFINAL WARS」。
その後ゴジラは、「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の
冒頭に登場したが、
本格的なゴジラ映画は作られていない。
ムムム。。。残念!!
今流行の3Dで新作映画が作られないだろうか??

ちなみに、ゴジラはすべて同じではなく、
そのデザインは映画ごとに異なっている。
前述の「キングコング対ゴジラ」のゴジラは
通称<キンゴジ>と言われている。
「モスラ対ゴジラ」のゴジラは<モスゴジ>。
同じゴジラであっても、体型や表情が違う。
私は中でも、<モスゴジ>が一番のお気に入り。
干拓地からの登場シーンは恰好良かったなぁ~kao05


あれっ?!いったい、何書いてるんやろ??kao12
アカン、アカン、こんなマニアックなこと書いてたら、
また受講生の皆さんに何言われるかわからへん。。。kao08



でも、もうちょっとだけ。。。kao07
ゴジラ映画をひきたてているのは、その音楽。
特に伊福部昭氏のものは、やっぱりいい!
SF交響ファンタジー第1番あたりを聴くと、
まさに血湧き肉躍るって感じface02
これ時々、通勤中の満員電車の中でiPodで聴いてますが、
スカッとしますぜ!!
頭の中には、ゴジラやモスラ、ラドン、キングギドラ、
ヘドラ、メカゴジラなんかが登場。
まさに怪獣総進撃状態icon22
「行け!ゴジラ!!」
「あっ!キングギドラの引力光線だ!!」


ウワ~、なんか危ないオヤジや~face08
アカン、アカン、ホンマにもうこの辺でやめとこ。。。
ますます私の講師としてのイメージが崩れてくる。。。
次の授業が怖い。。。

この記事、アップするのやめとこかな。。。
まあ、ええわ。ゴジラ映画、好きな人もいるやろface05


  


Posted by プリケ at 00:03Comments(8)映画の話ゴジラ

人生のターニングポイント(再掲載)

2010年03月21日

昨日(3月20日)の
「自分のお葬式の言葉<記憶に残る人>」の
記事にピグモンさんからコメントをいただきました。

そのことに関連することを、以前(平成20年11月11日)、
タイトルを「人生のターニングポイント」として
ブログに書きましたので、以下に再度、記します。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「これあげるよ」
隣の男性から私は小さな事務用品をいただきました。
ここは東京のA病院、第2病棟560号室。
その品物が、その夜、その方の形見の品と
なってしまいました。

誰にでも人生のターニングポイントはあると思います。
この病院で過ごした約1年半、
私は実に多くのことを経験しました。
この入院生活は私にとって、
人生のターニングポイントの一つに
なったと今でも思っています。


【入院生活、始まる】
当時、私は33歳。
会社の中でも中心的に働いていかなければ
ならない大事な時期。
それまで挫折ということを知らず、
仕事も順調に進み、
少々天狗になっていた時期でした。
そんな時期に私は病気になり、
入院を余儀なくされました。
結果的には約1年半の間に入退院を
何度となく繰り返すことになりました。
もちろん、その間、会社は休職。
私も健康診断を受けるまでは、
「まさか!」という感じでした。

信じられないまま、入院生活が始まりました。
いつ退院できるのか、そしてそもそも、
病気は治るのだろうか
という不安がありましたが、
当時会社人間だった私は、
同期入社の者に後れを取ってしまうことへの
あせりもありました。


【6人部屋の暮らし】
私の入った部屋は6人部屋でした。
様々な職の幅広い年齢層の方達が
入院されていました。
大企業の役員、町工場の工場長、
病院近くの魚屋のオッチャンなど、
多種多様な人達の集まりで、
一つの小さな組織のようでもありました。
その方達の共通点と言えば、
「病気になるとみんな同じ。
社会での肩書なんかまったく関係ない。
病気になるとみんな弱気になり、頑固になる。
そして、奥様にはまったく頭が上がらない」
ということでした。

約1年半の間に、多くの友達ができました。
メル友風に言えば、
病院(=ホスピタル)の友達なので
「ホス友」とでも言うのでしょうか。
その頃、私はまだ若い方でしたので、
60歳前後のオッチャン達には
息子のような存在だったと思います。
一番辛かったのは、昼間元気に話をしていた方が、
夜になると突然、集中治療室に運ばれて、
そのまま戻ってこられなくなったことが、
しばしばあったことです。
ついほんの3~4時間前には、
私に笑顔を見せて
一生懸命語りかけてくださっていたのに・・・。
さっきいただいた物が、
その方の形見の品になってしまうとは・・・。


【弱者の視点】
経済活動が活発に行われている
この東京の空の下で、こうしたことが、
この場所で繰り返されているという事実。
それまで、毎日、仕事仕事で過ごしてきた私は、
この時初めて「人生」というもの、
「死ぬ」ということを真剣に考えました。
人の一生の儚さ、それが故の生きることの尊さ、
生きるってどういうこと?
仕事をするってどういうこと?
もし運良く病気が治り退院できたら、
どのように生きていこうか等々、
実に様々なことを考えました。

病気になって初めて分かったこと、
気付いたこともたくさんありました。
それは弱者の立場から見える景色、人情、おもいやり、
人の気持ち。
それまで、天狗になり、自分のことしか考えず
走り続けてきた私にとって、目の前に広がる光景は、
まったく新しいものだったのです。

私はその時、思いました。
病気になったことはつらいことですが、
でも、もしあのまま働き続けていたら、
この大切なことに気付くことができただろうか。
人の気持ちの痛みを感じることができただろうか。
よし!やり直そう!なんとか病気を治して、
もう一度やり直そう!
と心に誓いました。
病気の治癒率は30%、
場合によっては治らない可能性もある。
なかなか病状は良い方向に向かわず、
確率から言えば、治らない可能性の方が高かったのです。
あきらめかけたことも何度かありましたが、
幸運にも30%に入ることができました。


【自分自身の振り返り】
仕事の上では非常に多忙だったあの一時期、
病気になったことで、
かえって私はそれまでの自分を
ゆっくりと見つめ直し、
そしてそれからの自分を考えることができました。
私が病気になったことは、あの時期、
周りを見ることもせず、
自分本位に行動していたことへの
神様からの戒めと、
自分自身を見つめ直す時間の
プレゼントだったような気がします。
今振り返ってみれば、あの入院生活と病気との闘いが、
私の人生のターニングポイントの一つになったのは
間違いないと思います。


ところで、「ホス友」の一人、Tさんが先日、
仕事で京都に来られました。
お互い退院してから一度も会うことなく、
毎年、年賀状のやり取りだけだったのですが、
一度会いましょう、ということになりました。
実に約15年振り。
私達は京都の「お好み焼き屋さん」で会いました。
15年の歳月があっという間に飛んでいきました。
お酒を飲み、お好み焼きを食べながら、
当時のつらかったことや、
その後の互いの生活や人生について語り合いました。
「ホス友、Tさん、お互いに苦しかったですね。
これからもよろしくお願いいたします」

おおいに語り合い、思い出に浸りながら、
長い秋の夜がふけていきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上が2年前に書いたものです。
思いは今も変わっていません。
あの時、残念ながら旅立たれた方達のためにも、
私は精一杯、生きていこうと思っています。
そして、少しでも多くの人達の
「記憶に残るように」
なっていきたいと思っています。
  


Posted by プリケ at 06:04Comments(4)ひとり言

自分のお葬式の時の言葉「記憶に残る人」

2010年03月20日

ちょっと先のことになると思うが(思いたいkao07)、
自分のお葬式の時、
なんと言われたいかと考えることがある。

私はまもなく53歳。平均寿命からすると、
当然これまでよりこの先の方が短い。
お通夜や告別式の時、集まっていただいた方達は、
私の遺影を見ながら、どんな話をするのだろうか。

「記録より、記憶に残るようになりたい」っていうセリフは
野球選手がよく使うが、私も今、接している人達、
これから出会う人達の記憶に少しでも残るような
ふれあいをしていきたい。

そしていつの日か、私の葬儀の時、遺影を見ながら
「あの時、出会えて良かった」の言葉をいただけたとしたら、
これに勝る喜びはないだろう。

  


Posted by プリケ at 11:59Comments(2)ひとり言

素敵な出会い

2010年03月19日

それまで全く知らなかった人と出会う。
昨日まで、町ですれ違っていても、
互いに見知らぬ同士。
でも、セミナーで出会ったことにより、
大きくその人の人生が変わることがある。
そして私の生き方さえも。

だからこそ、その瞬間、瞬間が大切。
言葉が大切。心が大切。表情が大切。
出会いって素晴らしいkao05

振り返ってみれば、私も多くの素敵な人達に
助けられてきた。
それもこれも、出会いがあったからこそ。
素敵な出会いになるかどうかは自分次第。
素敵な出会いにすることができるのも自分自身。

  


Posted by プリケ at 00:03Comments(4)ひとり言

縁は異なもの味なもの

2010年03月18日

このところ、ほとんど毎日、「働くことになりました」
という嬉しいご連絡をいただきますkao05
皆さんのご努力のたまものですねiconN04


ある学校の受講生のお一人だったNさん。
パソコンのインストラクターを
目指しておられましたパソコン

Nさんのクラスの最後の授業で、
私はNさんに次のようなことを
話した覚えがあります。

「Nさん!もしかすると将来、
私が就職支援の授業を行うクラスを、
パソコンのインストラクターとして
担当されることがあるかもしれませんね!」


それがなんと!!早くも実現するんですface02
今日、Nさんから「働くことになりました」
という嬉しいご連絡がありましたface02
Nさん、おめでとうございます!!
よ~く聞いてみると、なんと私が就職支援を
担当するクラスなんです!!
ホントに<縁は異なもの味なもの>です。

Nさん!今度は一緒に教室の前に立つ番ですね。
Nさんが努力されたことや頑張ってこられたこと等、
是非、受講生の皆さんにお伝えください。
Nさんのような方がこれからも
どんどん出てきますようにkao05