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Posted by 滋賀咲くブログ at

メキシコのお正月

2013年12月31日

34年前の今日、
友人・知人で集まり、
飲んでiconN23食べてicon28歌ってカラオケ
新年を迎えました。
時が午前0時を告げた時、
いっせいに、
「フェリス アニョ ヌエボiconN28
(スペイン語で新年おめでとう)

私が住んでいたメキシコのケレタロと
日本の時差は15時間。
大晦日の午前9時に
日本では新年を迎えます。
私は両親に国際電話をかけました。
電話の向こう(日本)は新年、
こちら(ケレタロ)は大晦日。
なんだか不思議な気分でした。

1月1日はさすがに学校も休み。
当然ながらお雑煮を食べることもなく、
普段とまったく変わらない一日だったと
記憶しています。
2日からは通常の授業があり、
正月門松気分は全然なしkao02
パーティー続きの毎日を
楽しく過ごした12月に比べ、
地味な新年のスタートでしたkao08
もう少し新年を迎えたことを
味わっていたかったけれど、
日本以外で新年を迎えた
唯一の体験だけに
いまでも記憶に残っています。

まもなく2013年も終わります。
今年も多くの人達に
お世話になりました。
みなさん、ありがとうございました。
来年も「出会い」を
大切にしていきたく思います。
  


34年振りのパコとの再会

2013年09月05日

34年振りにパコに会った。

「パコ、随分大きくなったね。
あの時、君はまだ小学四年生だったよね」

そりゃそうだ。
34年も経ってるんだもんね。
大きくなっていて当たり前。
その分、こっちもいい歳になったけど。
でも、懐かしいよね。
お母さんも元気そうで良かった。
あれから34年、
君はどんな人生を送ったのだろう。

君と過ごしたあの一年間は
僕にとってかけがえのない日々だった。
君とタコスを買いに行ったり、
ボーリングをしたり、
映画を観に行ったり。
宝石のように、きらきらと輝く毎日だった。
そう言えば、君はプラモデルを
作るのが得意だったね。
あの時作った零戦、
まだ君の手元にあるのかな?

時間の経つのは早い。
34年振りの再会なのに、
もうお別れの時がやって来た。
気付いたら夜が明け始めていた。
痛みがまた襲ってきた。
痛さに変わりはないけれど、
でも今朝はさわやかな気分だった。
34年振りにパコ、君に会えたから。

いつかきっと、この夢を実現する。
パコ、必ず君に会いに行くからね。
君の家族を紹介してほしい。
君があれから、どのように過ごし、
どのように生きてきたか、
僕がどのような人生を送ってきたか、
一緒に話しあいたい。
そのためにも、僕はもう一度、
スペイン語を勉強しなおすよ。

突然夢に現れたパコ。
僕は絶対もう一度、
メキシコへ行く。
君に会いに行く。
  


34年前の今日、メキシコへ

2013年08月29日

34年前の今日、
22歳だった私は
メキシコに旅立ちましたicon16
友人やクラブの後輩たちが
伊丹空港に見送りに
来てくれましたが
期待より不安の方が
大きい旅立ちでしたkao_5

でも、もう後戻りはできません。
私が学んでいた大学から
メキシコへの留学は、
制度としては第一回目
だったこともあり、
後輩たちのためにも
意義のある1年間に
しなければなりませんでした。

成田空港を飛び立った時飛行機
既にあたりは暗くなっていましたiconN08iconN09
おそらく夜の7時か
8時頃だったのでは
ないかと思います。
伊丹空港で見送ってもらってから
約10時間が経過し、
ようやく日本脱出となりましたkao08

結構疲れていたこともあり、
すぐに眠ってしまいました
次に目をさました時、
飛行機は太平洋上を
飛んでいました飛行機
窓の外に果てしなく
雲海が広がる光景はicon02icon02icon02icon02icon02
今でも忘れることができません。
その時、「さあ、これから始まるんだ!」
という気持ちになりました。

34年前の今日は、
私にとって大変長い長い
夏の一日でした。
  


ビバ!メヒコ!!No.7「激烈なタクシー争奪戦」

2010年02月17日

ホントに久しぶりの、
<ビバ!メヒコ!!>シリーズ。
前回が昨年の2月1日だったので、
こんなシリーズがあったのを
私も忘れていたkao11
今回は第7弾!!タクシーの話iconN15

今からちょうど30年前、
私はメキシコで暮らしていた。
首都メキシコシティから
バスで約3時間半のところにある
ケレタロというところに
ホームステイしていた。

ある日のこと、
私はメキシコシティからバスに揺られて、
ようやくケレタロに到着した。
「あ~しんど、さすがにちょっと疲れたナ。
早くホームステイ先に帰り、シャワーを浴びて、
ベッドに横になりたいナ。タクシーあるかな?」

私はタクシー乗り場に向かった。

すると。。。

私(心の中で)
「ゲッ!なんじゃ、こりゃあ~。なんで人が
こんなにおるんや!kao12
それに比べてタクシー、ほとんどあらへんkao11

今はわからないが(たぶん今も変わっていないと思う)、
当時、ケレタロでは整列してタクシーを待つ、
ってなことはありえなかったface09
タクシー乗り場にタクシーが入ってきたら、
いっせいにタクシーのまわりに人が群がり、
料金交渉が始まる!
「〇〇まで行きたいんやけど、〇〇円でどうや?!」
ってな具合。

私は最初、考えが甘かった。
メキシコの人達は私が外国人だから、
ちょっとは譲ってくれるだろうと。。。
ところがどっこい、どっこい、どっこいしょっと!
みんなハイエナのようにタクシーに群がり、
料金交渉を始めよる。
外国人に対する配慮なんかありゃしない。

「どひゃあ~~、来たタクシー、無くなってしもた~kao12
帰れへん~~kao04ちょっとは外国人のこと考えて
譲らんかい!face09そうでないと、私のような気の弱い(?)
人間が損をする!!」

と思ったが世の中、そんなに甘くはなかったkao02
外国人であろうと何であろうと、
自分が望むことは自分の力でなんとか
しなければ!!
よっしゃっ!今度タクシーが来たら
思い切って交渉してやる!!icon12

やがて1台のタクシーがやって来た。
群がるハイエナ達。。。

私(心の中で):
「こら!押すなよ!!ちきしょ~、出遅れた。。。
あっ!もう交渉が始まった!くそ~~、押すなって!
痛タタ、足踏まれた。。。kao04
ちきしょ~、おとなしくしてりゃ
いい気になりやがって!!face09

そうや!icon12
こういう時は関西弁でしゃべったろ。
迫力あるし、どうせこやつらにはわかりっこない!」

私(大きな声で):
「てめえら押すな言うとるやろ、このボケが!!
なめとんのかワレ!!face09

あ~~すっきりしたkao07

そしたらハイエナの一人がこうつぶやいた。
「お~~、ニッポン人、なんか怖~~い。
でも私、ニッポン語、ワカラナ~~イ!!」

私(心の中で):
「うわっ!ヤバ!!こいつ日本語知っとるやん!!kao11

私(えらそうに):
ま、ええワ、ここで引き下がれへん。
「おい、運転手!!倍の金額、払たるさかい
乗せてくれ!!」(←これ、交渉ちゃうやん!)

運転手さん:
「ば、倍!!オ~、グラシアス(=ありがとう)!!
どうぞ、どうぞ」

私(心の中で)
「ウシシ。。。やっぱり金の力は大きいな。。。」

でも、これって、まわりから見たら、
<嫌な日本人。。。>

あの時のみんな!スマン!!
いつか謝りに行くさかい。。。



★「ビバ!!メヒコ!!」シリーズ、バックナンバーのご案内
(それぞれタイトルをクリックしてください)

(第1回)メキシコとタコス
(第2回)
やつは、空手ができる。。。
(第3回)
良い闘牛士になりなさい!!
(第4回)
私の夢
(第5回)
メキシコのロマンティックな習慣
(番外編)
なんでメキシコなん?
(第6回)
お世話になった日本人(パート1)






  


ビバ!メヒコ!!No.6「お世話になった日本人」(パート1)

2009年02月01日

<ビバ!!メヒコ!!>シリーズの第6弾は、
1年間のメキシコ滞在中に大変お世話になった
日本人3名の方々のお話をしたいのですが、
まず今回は、その中のお一人の登場です。

メキシコ国旗メキシコ国旗メキシコ国旗メキシコ国旗メキシコ国旗メキシコ国旗

メキシコに滞在して3ヵ月程度過ぎたある日のこと、
1通の手紙が入国管理局のようなところから届きました。
「なに?なに?、えっ~~ウソでしょ~~!!」
その手紙にはこう書かれていました。
「あなたは今月一杯で出国しなければなりません」
というような文面だったと思います。もちろんビザの関係です。
「でも、僕は大学から公費留学として来ており、
滞在に関しても、きっちりと手続きを済ませているはず。。。」

すぐに約3時間半バスに乗り、メキシコシティーに行きました。

バスバスバスバスバスバス

質問した結果、最終的には「保証人をたててください」ということに。
「ウソでしょ~~、こら!日本政府!!なんとかせえよ!!
この野郎!!」と言っても仕方ない。
でも、保証人なんて誰がなってくれんねん??!!
それも、たしか預金証明書まで必要だったような気がします。
うわ~~ますます困難!!

怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

どうしようか迷いに迷ったあげく、そうだ!やっぱり日本人に
頼むしかない!!でも、そんな日本人、どこにおんねん?
ここで私がとった行動は。。。
今だったらとってもできまへん。若かったなぁ~。
「そうや!日本製のものを売っているおみやげ店の
店主に相談しよう!!」
             ↑
(なんという発想!!なんでおみやげ店やねん??)

というわけで、ガイドブックに掲載されていた、とある日本製品を
売っているおみやげ店に行きました。
そこで、店主の方に事情を説明。
「〇〇〇〇というわけで、とっても困っているんです。
どうしたらよいでしょうか?」とすがるような表情で。。。

そうしたら、信じられない答えが。。。
店主様様様「よっしゃ!ワシにまかしときなはれ!!
ワシがあんたはんの保証人になったるわ!!
そのかわり、これから帰国するまでの期間、
悪いことしたらあかんでぇ~!!」
           ↑
(すんまへん!ホントはこんな関西弁ではありまへんでしたどす)

プリケ「え~~ホントですか!!ありがとうございます。
そのかわり、なんか買わせてもらいますさかい!!」
           ↑
(オイオイ、そんな問題か!!)

というわけで、なぜかその店で「由紀さおり」のレコードを
買った私(←なんでやねん?!「夜明けのスキャット」、
歌っとる場合か!!)

さらに、店主様が、
「よっしゃ!ワシがこれから入国管理局まで車で送って
いったるわ!!」

な、なんと優しいお方。。。
これも僕の人徳か。。。(←違う!違う!!)

というわけで、初めてお会いしたこの店主様のおかげで、
私は難を乗り切れたのでありました。

ただ~し!!私の一生の不覚であり、後悔していることが。。。
ナ、ナント!これほどまでに私を助けてくださった店主様に
私はなんのお礼もせずに帰国をしてしまったのです。
おまけに、今、思い出そうにも思い出せないその方の
お名前とお店の場所。
あ~不覚!!「不覚」だけに「深く」後悔。。。

以前にも書きましたが、私の夢は当時の友人達と会うことですが、
同時に果たさなければならないこと、
それはこのおみやげ店を探すこと、そしてご健在であれば
当時の店主様に大変大変遅ればせながら、お礼を言うことです。


「ビバ!!メヒコ!!」シリーズ、バックナンバーのご案内
(それぞれタイトルをクリックしてください)

(第1回)メキシコとタコス
(第2回)やつは、空手ができる。。。
(第3回)良い闘牛士になりなさい!!
(第4回)私の夢
(第5回)メキシコのロマンティックな習慣
(番外編)なんでメキシコなん?
  


ビバ!!メヒコ!!シリーズ番外編「なんでメキシコなん?」

2009年01月13日

昨日、ビバ!!メヒコ!!のNo.5を書きましたが、
時々、「プリケさん、なんでメキシコなん?」と聞かれます。
たまたまPINKさんも昨日のブログのコメントに
書かれていましたので、このさいそれをネタに
ブログを書くことに。。。
やった~!PINKさんありがとう!!
これで今日のブログネタ、考えんでもすみまんがな!!

メキシコメキシコメキシコメキシコメキシコメキシコメキシコメキシコメキシコ
メキシコの国旗icon14

さて、メキシコを選んだ理由、話せば長~くなってしまいますので、
以下、簡単に(あんまり簡単ではありませんが。。。)。
ちなみに、メキシコをスペイン語ではメヒコと言います。

1.小学生のころからスイスに憧れて、
  一生に一度でいいから行きたかった。

2.スイスの言葉は、ドイツ語、フランス語、イタリア語、
  そしてロマンシュ語。
  したがって、どれかを勉強しようと思った。

3.大学は外国語大学を選択。
  しかし、その大学には前述の言語学科はなし。
  たまたま、スペイン語学科があり、ええい!まあええや!
  とりあえずスペイン語を勉強しておこうという軽いノリ。
  前述の言語はいずれまた勉強しようと考えた。
  (結局、勉強していない。。。)

4.大学3年生の時、自費でスペインに1ヵ月半、
  ホームステイ。スペインって素晴らしい!!
  ええ国や~。闘牛にフラメンコ!!情熱的!!
  歴史の重みを感じる!!トレドの町!アルハンブラ宮殿!
  そして、ヒェ~、女性が綺麗でんなぁ~!!
  是非、ここに留学したいという強い気持ちになってしまい
  ましたがな。(←何が一番の理由か分かりますやろ?)

5.大学4年生の夏。スペイン語圏への第1回公費留学制度発足。
  よし!これは受けるっきゃない!
  スペインになんとしても行くんだ!!
  綺麗なセニョリータに会える!!
  というわけで留学生テストを受ける。

6.面接時、A教授曰く「セニョールタナカ!今回は
  スペイン、無しよ!!もし受かったらメキシコに
  なるけど、君、どうする?」
  
  (心の声)
  「え~!スペインちゃうの?!メキシコ~?!
  そんなん全然考えてへんかった~。どうしよう??」


  と頭の中では思いつつ、
  「ハイ!試験に合格したら、もちろんメキシコでも
  どこへでも行かしてもらいますわ!!」
  と明るい笑顔で、優等生っぽく答えてしまった。。。
  (あ~言うてしもた。。。もう後戻りできひん!!
  まあええわ!合格したらその時、考えよ)
  と呑気に構えていた私であった。

7.2~3日後、校内放送があり、呼び出された私はA教授に
  次のように言われた。
  「プリケ君、君、合格だよ!スペインには行けないが、
  メキシコでいいよね?」

  「ハイ!もちのろんです!A教授!!」と満面の笑顔で
  答えたのだった。
  本当は、くそ~スペインに行きたかったのに~~と思いつつ、
  そこはおくびにも出さずに優秀な生徒になりきってしまった私。
  こうして、その約2ヵ月後、メキシコに旅立ったのであった。

まあ、結果的にはメキシコに行けて大正解だったんですけどね。
ありがとうA教授!恩に着るぜ!!ウシシface02


ありがとう(スペイン語)  


メキシコのロマンティックな習慣(ビバ!!メヒコ!!No.5)

2009年01月12日

ビバ!!メヒコ!!シリーズ第5弾!!
今回はメキシコの粋な(?)習慣を2つご紹介します。

メキシコ国旗シンコ・デ・マヨ

これは約30年近く前の私の留学時代の話なので、
現在も続いているのかどうかは分かりません。

それは、年頃の女性に対する
男性の愛の告白の仕方です。
ある男性がある女性を好きになったとします。
男性は夜、その女性の家の近くまで行って、
女性がいる部屋の窓辺に向かって、
ギターを片手に愛の歌を歌うんです。
う~ん、なんてロマンティック!!
映画の中の世界みたい!!

ミュージシャン

でも、考えてもみてください。
日本でなら夜中にいくら愛の歌とはいっても、
たぶんご近所から苦情がくると思います。
「じゃかましい~!今、何時やと思てんねん(怒)」と。
ところがメキシコの人達は寛容で、
「あ~、近所の〇〇ちゃんも年頃になったんや~」と
喜んでくれます。
実際、私が住んでいた近所にも、朝の4時頃(!!)、
ギター、バイオリン、トランペットなどで構成された
マリアッチの音楽が奏でられました。

マリアッチ楽団マリアッチ楽団マリアッチ楽団

こうなったらとても眠っていられず、翌朝は寝不足状態。
でも、その時は私も大きな心で、
「あ~、〇〇ちゃん!良かったやん!!」
たしか、この習慣を「セレナータ」と言ったような記憶があります。


さて、もう一つ。
これも男性から女性に対する習慣。
町を歩いている女性に対して、男性が声をかけるのですが、
ナンパとはちょっと違います。
たとえば、車の中から男性が道行く女性に対して、
「よお!姉ちゃん!かわいいやんけ!」とか、
「よっ!そこの素敵な姉ちゃん!一緒にドライブせえへんか?」
というようなノリで声をかけます。
(えっ?メキシコ人って、こんな関西弁使うんかって?
まあ、話をおもろ~するためですやん!!
そないカタイこと言わんと!!)

でも、女性は完全に無視。無視でいいんです。

女性は声をかけられたことによって、「私も一人の女性として
見られたんだ」と思うそうです。
したがって、町中を歩いていて誰にも声をかけられないと、
「なんで私には声がかからへんの?」と思ってしまうとか。
このことを、たしか「ピロポ」といったように思います。
私もこの頃はちょうど22歳という血気盛んな頃で。。。
あっ!この後はご想像にお任せいたします。


いずれにしても、メキシコには当時の日本でも味わえないような
素敵な習慣が残っておりました。
今も残ってるのかなぁ~??「セレナータ」「ピロポ」


  


私の夢(ビバ!!メヒコ!!No.4)

2008年12月08日

私の夢、それはもう一度、メキシコに行くこと。
学生時代にメキシコで過ごしたあの一年間は、
私にとって何ものにもかえがたい、とっても貴重な時間。マリアッチ楽団

【「生きる」ということを実感】
人を思いやる心、人生を楽しむこと、人間本来が
持っている願望や欲望に対する再認識、
両親への思い、人との関わりなど、
単なるスペイン語習得の枠をこえた、
「生きる」ということを実感した時間。

そこではたくさんの友達(アミーゴやアミーガ:アミーゴは
男の友達、アミーガは女の友達)ができました。
多くの人生の先輩方にも会いました。
知り合った方々から様々なことを学びました。
言葉や文化は違っても、人間の感情はみな同じ。
嬉しい時には笑い、悲しい時には涙する。
彼らの喜・怒・哀・楽は、我々以上に、より鮮烈。




【懐かしい友の顔】
先日、部屋の整理をしていたら、
その当時の写真が出てきました。
懐かしい顔、顔、顔face01kao05kao07
みんな陽気な笑顔、笑顔、笑顔face02face02face02
とってもみんな嬉しそう!そして幸せいっぱい!!
そう!人生は楽しむもの。明日できることは、明日でいいさ。
「アスタ マニャーナ」(=また、あした)の世界。

でも、そんな中、高校生のルイス君やフリオ君、
君たちの言葉を決して私は忘れない。
「アツヒロ、日本っていいね!徴兵制ってないもんね。
ぼくらはもうすぐ高校を卒業するけど、
そのあとには兵役義務があるんだ」

それから、ヒゲもじゃで哲学者の容貌のフェリペ君。
君は本当に言うことがしっかりとしていて、
本当にソクラテスかプラントのようだったね。
私がビザの更新でとっても困っていた時、
君はまだ夜も明けない午前3時ごろから、
約3時間半かかるメキシコシティーまで車を飛ばして
付き合ってくれたね。あの時は本当に嬉しかった。
その車の中で聴いた、ホセ・フェリシアーノが歌う
「ケ・セラ」。これを聴くと、今でもあの朝もやの中を、
眠い目をこすりながら、沿道にサボテンが生える高速道路を
君と突っ走っていた光景が目に浮かぶよ。


【永遠のアミーゴ】
写真を見ていたら、思い出が走馬灯のように
グルグルと頭の中を駆け巡ります。
そんな君たちの成長した姿をこの目で見たい!
そして君たちの大事な家族を見てみたい!

あれから約30年、君たちは私のことを
覚えてくれているだろうか。
私は君たちの永遠のアミーゴ。
きっと、いつか君たちに会いに行くからね!!
そしてまた一緒に、飲んで、歌って、踊ろうね。
遠い昔のことを語りながら。
そして、人生を楽しむために。


  


良い闘牛士になりなさい!!(ビバ!!メヒコ!!No.3)

2008年11月16日

【ホームステイ先での問題】マリアッチ楽団
メキシコでホームステイして約半年が過ぎた頃、
私は壁にぶち当たりました。
というのも、その家庭のことに首を突っ込みすぎたために、
子供の教育問題や親と子供の対立などに関しても、
セニョーラ(その家のお母さん)から、
たびたび相談されることになってしまったためです。


【メキシコには勉強に来ているのに。。。】
これは正直、こたえました。嘆く
丁度、いわゆる反抗期の娘さんや息子さんだったため、
余計に大変でした。異なる言語、カルチャーの差、
価値観の相違等を感じながらも、それでも最初の内は
セニョーラが話すことを一生懸命に聴いていました。
(この頃からカウンセラーの真似事、やってたんだ~~)
でも、毎日それが続くとさすがに気が滅入ってきました。
自分はこのメキシコにスペイン語の勉強に来たんだ。
メキシコ文化や音楽、文学に触れるために、
奨学金を出してもらって留学しているんだ。
なんで、メキシコ人の家庭のいざこざにまきこまれなきゃ
いけないんだという気持ちが膨れ上がってきました。


【お前は悪い闘牛士になっている】
そしてある日、私はついに学校関係の方に相談に
行きました。私は本来の勉強をしたい。
ホームステイ先を変えてほしいと。
そうしたら、その相談者Rさんが次のようなことを
私に言いました。

R「アツヒロ、メキシコは闘牛の盛んな国であることは
 知っているよね?それでは良い闘牛士と悪い闘牛士の
 違いを知っているかい?」

私「・・・・・・」

R「良い闘牛士は向かってくる牛の角から逃げずに、
 立ち止まりながら寸前でひらりとかわすんだ。
 ところが悪い闘牛士というのは最初から牛の角から
 逃げ回るんだ。アツヒロ、お前は今、悪い闘牛士になっているよ。
 今、アツヒロは困難なこと、つらいことから、
 ただ逃げようとしているだけだ。
 その困難なことに対して、克服しようという努力はしてみたかい? 
 何もしていないだろう?
 何も努力する前に逃げ出してしまうのかい? 
 確かにお前はメキシコのカルチャーに触れながら
 スペイン語を上達させようと頑張っているね。
 もちろんそれは大事なことだ。
 けれど、もう一つ、神様がアツヒロを私達の国の
 あの家庭にホームステイさせたのは、
 アツヒロに異なった文化や価値観の中で
 色々な人生勉強をさせるために、はるか彼方の
 日本から来させたんだよ。
 だから、今は家庭の問題に触れて色々と大変だと
 思うけれど、それから逃げてばかりではなく、
 立ち向かっていくこともアツヒロのこれからの人生の上では
 きっと大切なことだと思うよ。
 アツヒロなら、きっと良い闘牛士になれると思うよ」

私「そうか!僕はスペイン語の勉強のためだけに
 来たわけではないのか!半年前までは何の縁もゆかりも
 なかったあの家族。でも、それなのに自分のことを信頼し
 家族問題について相談するセニョーラ。。。
 分かりました。もう一度、考えてみます。」

ということで、自分がメキシコに来た意味。
あの家族とめぐり合った理由、そして自分がすべきこと。
メキシコの神様が私に与えた試練。
そうだ!あと半年、考え方を改めて良い闘牛士になれるよう
努力してみよう!と思えるようになりました。


【皆さん、ありがとう!!】
それから半年間、努力して良かった!
人間は言葉や考え方、価値観が違えど、
うれしい時には喜び、悲しい時には涙する。
ありがとう!メキシコのお母さん(セニョーラ)!
そしてその子供達、それからRさん!
あなた達のことを私は一生忘れることはないでしょう。
あれから既に28年の歳月が経過しました。
あの時の「良い闘牛士と悪い闘牛士」の言葉は、
その後の私の人生の中でも、ひときわ輝いた言葉として
心の中に残っています。



icon14
お土産屋によく売っているきらびやかなスパンコールのついたものではなく、
このシックなものを随分と探しました。

  


やつは、空手ができる。。。(ビバ!!メヒコ!!NO.2)

2008年09月30日

アチョ~~!!

という怪鳥音を発しながら、
ブルース・リーの真似をしました。
メキシコでのある友人の誕生パーティーでのことです。

私がメキシコに滞在した1979年から1980年にかけて、
メキシコではブールス・リーを中心とするカン・フー映画の
人気が続いており、メキシコの人達は我々日本人を見ると
「空手、空手」と、よく言ってきました(厳密に言うと、
ブルース・リーは空手家ではないと思うのですが、
まあかたいことは言わずに)。

ある時など、乗合バスに乗っていたら、
隣に座った青年がいきなり、「お前は、空手ができるか?」と
質問してきたこともあります。
そして、下車すると、「俺の1本指腕立て伏せを見てくれ!」
と言って、突然、路上で1本指腕立て伏せをやりだしました。
私も負けずに2本指腕立てをしましたが、
残念ながら私は空手はできません。

メキシコ人の若者の中には血気盛んで、
けんかっ早い者もいて、そのため、ちょっと危ない場所も
ありました。
もしけんかをふっかけられたら
どのように対応すればよいか?
その時、ふと気付きました。
そうだ!
空手ができることにしてしまえ!

それ以降、「プリケ!(←もちろん本名で呼ばれましたが、
ブログなので)、お前、空手ができるか?」
私は「もちろん」と言って、映画で見たブルース・リーの
真似をするようにしました。
もちろん見よう見まねですよ。
そうしたらなんと!まわりから拍手がくるではあ~~りませんか!
それに気を良くした私、色々なパーティーや集まりで
似非カン・フーを披露しました。
その結果、その街では「プリケは空手ができる。
やつにはケンカを売らない方がいい」という
評判になってしまいました。


そんなある日、いつもように誕生パーティーが催されました。
パーティーが最も盛り上がってきた頃、主催者が突然、
「プリケ!君が空手ができるのは良く分かっている。
実は僕はヌンチャク(←武器の一種です)を持っているんだ。
ひとつ、模範演技を見せてくれないか?」と頼まれたんです。
「エッ?!まずい。。。ヌンチャクなんて触ったことがない。。。
でも、ブルース・リーはヌンチャクの達人だし、
ここでできないと言ったら空手のレベルについても
疑われてしまうかもしれない」と、勝手に考えてしまった私。
ええい、どうにかなるや!と思ってはみたが、
現物を持ってこられると、似非カン・フー者としては当然扱えない。

そこで、ひとこと。「申し訳ないが、君のヌンチャク、
本物ではないな。
私クラスになると、このようなおもちゃのヌンチャクを
扱うことはプライドが許さない」と言ったら、
まわりの人間が「さすが、プリケ!!」とまた拍手。
いやぁ~~冷や汗もんでしたよ。