年末恒例の干支の置き物交代
2019年12月31日
玄関に干支の置き物を飾っています。
この置き物は毎年秋、大津祭・宵宮の際に、
丸屋町商店街の中の「結納の七黒」さんで
購入し続けており、いずれ十二支全部を
揃えたいと思っています。
今日は2019年、大晦日。
人形の交代をする日です。

イノシシ君、一年間ありがとう!
次に君をここに飾るのは12年後。
74歳かぁ〜。
どんなふうに歳をとっているんだろう。
そしてネズミ君。
来年一年間、よろしくお願いいたします。
来年はどんな年になるのか。
私の場合、がんが良い方向に
向かう年であって欲しいと祈るのみです。
さて、本年もこのブログをご覧いただき、
ありがとうございました。
何らかの形でみなさまのお役に立っていたり、
笑いのもとになっていたり、
あるいは元気の種になっていれば幸いです。
私は年明け早々、簡単な手術で
ポートというものを身体に埋め込んで、
そこから抗がん剤投与をし始めます。
あらたな挑戦ですが、
前向きに取り組んでいきます。
それではみなさま、来年も引き続き
よろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えください。
この置き物は毎年秋、大津祭・宵宮の際に、
丸屋町商店街の中の「結納の七黒」さんで
購入し続けており、いずれ十二支全部を
揃えたいと思っています。
今日は2019年、大晦日。
人形の交代をする日です。

イノシシ君、一年間ありがとう!
次に君をここに飾るのは12年後。
74歳かぁ〜。
どんなふうに歳をとっているんだろう。
そしてネズミ君。
来年一年間、よろしくお願いいたします。
来年はどんな年になるのか。
私の場合、がんが良い方向に
向かう年であって欲しいと祈るのみです。
さて、本年もこのブログをご覧いただき、
ありがとうございました。
何らかの形でみなさまのお役に立っていたり、
笑いのもとになっていたり、
あるいは元気の種になっていれば幸いです。
私は年明け早々、簡単な手術で
ポートというものを身体に埋め込んで、
そこから抗がん剤投与をし始めます。
あらたな挑戦ですが、
前向きに取り組んでいきます。
それではみなさま、来年も引き続き
よろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えください。
まさに、これぞ相棒!!
2019年12月30日
もともと、杖は足のしびれがきつく、
電車で立ちっぱなしが辛い時や、
歩行時に足が痛む際に使用する
目的で購入しました。
ところが今回の右耳の帯状疱疹の
影響で立ちくらみやめまいがし、
歩行が難しくなったことで、
こんなに役立つことになろうとは
予想もしていませんでした。
最近はようやく杖なしでも
頭をあまり動かさず、ゆっくりとなら
まっすぐに歩けるようになってきましたが、
それでも交通量が多い道であれば
まだまだ不安があります。
そんな時に不可欠なのがこの杖

まさに、相「棒」です。
この杖、折りたためますので、
不要な時は折りたたんでカバンに
入れておけば持ち運びも楽です。
電車で立ちっぱなしが辛い時や、
歩行時に足が痛む際に使用する
目的で購入しました。
ところが今回の右耳の帯状疱疹の
影響で立ちくらみやめまいがし、
歩行が難しくなったことで、
こんなに役立つことになろうとは
予想もしていませんでした。
最近はようやく杖なしでも
頭をあまり動かさず、ゆっくりとなら
まっすぐに歩けるようになってきましたが、
それでも交通量が多い道であれば
まだまだ不安があります。
そんな時に不可欠なのがこの杖


まさに、相「棒」です。
この杖、折りたためますので、
不要な時は折りたたんでカバンに
入れておけば持ち運びも楽です。
笑いのツボの違い
2019年12月29日
ジェネレーションギャップだろうか。
50歳を過ぎる頃から、若い人たちの
笑いの対象をまったく面白いと
感じなくなった。
たとえば、つい先日のM-1グランプリ。
優勝したミルクボーイを多くの人が
面白いと言っている。
どれほど面白いのかYouTubeで見てみた
結果、私には何が面白いの?
という感じで、1度も笑わなかった。
その他の出演者も見たが、
まったく面白くない
やはり歳なんだろうな。
私には昔の漫才の方が
圧倒的に面白い
そう言えば、研修の講師を務めている時、
私の冗談はおおむね50歳過ぎの受講生の
みなさんの方が通じやすいようだ
逆に20歳代の若者は、
何が面白いのって感じの表情をしている
50歳を過ぎる頃から、若い人たちの
笑いの対象をまったく面白いと
感じなくなった。
たとえば、つい先日のM-1グランプリ。
優勝したミルクボーイを多くの人が
面白いと言っている。
どれほど面白いのかYouTubeで見てみた

結果、私には何が面白いの?
という感じで、1度も笑わなかった。
その他の出演者も見たが、
まったく面白くない

やはり歳なんだろうな。
私には昔の漫才の方が
圧倒的に面白い

そう言えば、研修の講師を務めている時、
私の冗談はおおむね50歳過ぎの受講生の
みなさんの方が通じやすいようだ

逆に20歳代の若者は、
何が面白いのって感じの表情をしている

今年を漢字1字で表わすと・・・
2019年12月28日
今年を漢字1字で表わすと、
私の場合はやっぱり・・・
「病」
今年というより毎年同じ字といっても
言いすぎではないような・・・
まったく、なんでこんなに病弱に
なってしまったのだろうと
落ち込むこともありました
でも私、若い時にメキシコで1年間
暮らしていたことから根は楽天的
明日またなんとかなるわい、
どんなに苦しくったってこれは神様が
与えてくださった試練。
より大きく育てるための
経験なんだと思って、
今日まで病気と向きあってきました。
おそらくこれからもそう考えて
過ごしていくことと思います。
このような経験の一つひとつが
血となり肉となってきているような
気がしています。
今年の漢字は「病」ですが、
決して後ろ向きのうつむきがちな姿勢ではなく、
顔を上げて向きあってきた「病」だと
思っています。
そう言えば、以前は入院なんて
嫌で嫌でたまりませんでした
今もその気持ちに変わりはありませんが、
でもちょっと違う感情も芽生えています。
入院中でも自分の心構え次第で
学ぶべきことはたくさんあります。
たとえば、今回の入院は昨夏の
手術入院と比べて、
また別の辛さがありました。
とにかく退院日当日まで立ちくらみが残り、
入院期間中はこれまでになく不自由で、
気分がずっと悪い日々を過ごしました
でも、そんな中でも看護師のみなさんの
コミュニケーションのとり方を
注意深く観察していたんです。
「あっ!この返しはうまい!!」
「間の取り方が絶妙」
「声のトーンが柔らかく安らぎを
与えてくれる」
もう、お手本にしたいコミュ力の高さです。
回復して「マナー研修」や「コミュニケーション研修」の
講師を務める際には、是非これを伝えよう!
そう思うと、頭がクラクラし立ちくらみをしつつも、
なんだかワクワクしてくるんです
今回の入院では、車椅子に乗せてもらい、
あちこちの診察室に連れて行ってもらいました。
そんな時、車椅子を押していただく
看護師さんや看護助手さんと話をしました。
その時の会話も本当に参考になりました。
こんな風に書いていると、なんだか入院生活を
楽しんでいるみたいですね。
本当は自宅に帰りたいんですよ。
入院患者の誰もがそうだと思います。
入院中は治療をして我慢しなければ
ならないことも多々あります。
であるなら、自分なりに工夫をして、
有意義に過ごしたいですよね。
以前はそんな風に考える余裕も
ありませんでしたが、
これだけ度重なるがん宣告を受けると、
開き直れるのかもしれません(笑)
来年の漢字?
本当は健康の「健」といきたいところですが、
がんとの新しい闘いが待っていますので、
「挑」でしょうか。
私の場合はやっぱり・・・
「病」
今年というより毎年同じ字といっても
言いすぎではないような・・・

まったく、なんでこんなに病弱に
なってしまったのだろうと
落ち込むこともありました

でも私、若い時にメキシコで1年間
暮らしていたことから根は楽天的

明日またなんとかなるわい、
どんなに苦しくったってこれは神様が
与えてくださった試練。
より大きく育てるための
経験なんだと思って、
今日まで病気と向きあってきました。
おそらくこれからもそう考えて
過ごしていくことと思います。
このような経験の一つひとつが
血となり肉となってきているような
気がしています。
今年の漢字は「病」ですが、
決して後ろ向きのうつむきがちな姿勢ではなく、
顔を上げて向きあってきた「病」だと
思っています。
そう言えば、以前は入院なんて
嫌で嫌でたまりませんでした

今もその気持ちに変わりはありませんが、
でもちょっと違う感情も芽生えています。
入院中でも自分の心構え次第で
学ぶべきことはたくさんあります。
たとえば、今回の入院は昨夏の
手術入院と比べて、
また別の辛さがありました。
とにかく退院日当日まで立ちくらみが残り、
入院期間中はこれまでになく不自由で、
気分がずっと悪い日々を過ごしました

でも、そんな中でも看護師のみなさんの
コミュニケーションのとり方を
注意深く観察していたんです。
「あっ!この返しはうまい!!」
「間の取り方が絶妙」
「声のトーンが柔らかく安らぎを
与えてくれる」
もう、お手本にしたいコミュ力の高さです。
回復して「マナー研修」や「コミュニケーション研修」の
講師を務める際には、是非これを伝えよう!
そう思うと、頭がクラクラし立ちくらみをしつつも、
なんだかワクワクしてくるんです

今回の入院では、車椅子に乗せてもらい、
あちこちの診察室に連れて行ってもらいました。
そんな時、車椅子を押していただく
看護師さんや看護助手さんと話をしました。
その時の会話も本当に参考になりました。
こんな風に書いていると、なんだか入院生活を
楽しんでいるみたいですね。
本当は自宅に帰りたいんですよ。
入院患者の誰もがそうだと思います。
入院中は治療をして我慢しなければ
ならないことも多々あります。
であるなら、自分なりに工夫をして、
有意義に過ごしたいですよね。
以前はそんな風に考える余裕も
ありませんでしたが、
これだけ度重なるがん宣告を受けると、
開き直れるのかもしれません(笑)
来年の漢字?
本当は健康の「健」といきたいところですが、
がんとの新しい闘いが待っていますので、
「挑」でしょうか。
マンナンライフの蒟蒻畑。新味は「いちごミルク」と「コーヒー味」
2019年12月26日
今回の入院中、食の面でお世話になったのが
マンナンライフの蒟蒻畑でした
頭がふらつき食が進まない時に、
口当たりが良く食べやすい、
そして腸にも良い蒟蒻畑には
随分助けられました。
元々この商品は好んで食べていましたが、
入院中にこんなに役立つとは
思っていませんでした。
そんな蒟蒻畑の新しい味が
「いちごミルク」と「コーヒー味」

早速食べてみました。
「いちごミルク」はイメージ通りの
少し甘いけれど口当たりの良い味で、
特に女性受けしそう。
「コーヒー味」は「いちごミルク」とは
正反対のほろ苦い大人の味
コーヒーゼリーの味を
思い浮かべていただければ
ちょうど良いと思います。
どりたも味の指向性が異なり楽しめます
ますます蒟蒻畑にはまってしまいそうです

マンナンライフの蒟蒻畑でした

頭がふらつき食が進まない時に、
口当たりが良く食べやすい、
そして腸にも良い蒟蒻畑には
随分助けられました。
元々この商品は好んで食べていましたが、
入院中にこんなに役立つとは
思っていませんでした。
そんな蒟蒻畑の新しい味が
「いちごミルク」と「コーヒー味」


早速食べてみました。
「いちごミルク」はイメージ通りの
少し甘いけれど口当たりの良い味で、
特に女性受けしそう。
「コーヒー味」は「いちごミルク」とは
正反対のほろ苦い大人の味

コーヒーゼリーの味を
思い浮かべていただければ
ちょうど良いと思います。
どりたも味の指向性が異なり楽しめます

ますます蒟蒻畑にはまってしまいそうです


ギリギリのところで救われているこの命
2019年12月25日
いつもギリギリのところで
この命が救われている気がしています。
20歳代後半、C型慢性肝炎になりました。
当時は今のように良い薬が
それほど多くなく、インターフェロンに
頼らざるを得ませんでした。
ところが高額で経済的にも
簡単な治療ではありませんでした。
そんな時、あるお医者さんが
治験扱いで投与し続けてくださいました。
おかげさまで劇的な効き目があり、
完治することができました。
実に3年半の期間を要しました。
数年前の狭心症の時は、
ほんの少し遅ければ
心筋梗塞になっていました。
タイミング良くステントを
入れていただいたおかげで、
今は何の支障もなく過ごしています。
第1回目のがん、悪性リンパ腫の時は、
やや治すのが難しい種類のものでした。
抗がん剤の副作用に苦しみ
最後の1回は拒否。
主治医も最終決断は私に任され、
これは大きな賭けでした。
でも、結果は完全寛解で、
今はまったくなんの問題もありません。
そして、昨夏の膵臓がん。
悪性リンパ腫の定期検診のCTで
偶然見つかり、早期に対応が
可能となりました
さらに、腫瘍の場所が手術が大変な
膵頭部ではなく、膵体尾部だったこと。
手術日が本来なら9月上旬になるところが、
幸い8月21日になったこと。
ラッキーでした。
そして今回の右耳の帯状疱疹。
脳に影響が出ていれば
大変なことになっていましたが、
かろうじてセーフ。
以上、それぞれの病気が軽いものではない中、
危険ラインぎりぎりのところで
助かっているようです。
何か大きな力で守ってもらっているような
気がしています。
「神様はまだ何らかの役割を果たすことを
私に期待してくださっている」
と私なりに解釈しています。
できればこの大きな力で、
肝臓に転移しているがんも
守ってもらいたいと思っている
今日この頃です。
この命が救われている気がしています。
20歳代後半、C型慢性肝炎になりました。
当時は今のように良い薬が
それほど多くなく、インターフェロンに
頼らざるを得ませんでした。
ところが高額で経済的にも
簡単な治療ではありませんでした。
そんな時、あるお医者さんが
治験扱いで投与し続けてくださいました。
おかげさまで劇的な効き目があり、
完治することができました。
実に3年半の期間を要しました。
数年前の狭心症の時は、
ほんの少し遅ければ
心筋梗塞になっていました。
タイミング良くステントを
入れていただいたおかげで、
今は何の支障もなく過ごしています。
第1回目のがん、悪性リンパ腫の時は、
やや治すのが難しい種類のものでした。
抗がん剤の副作用に苦しみ
最後の1回は拒否。
主治医も最終決断は私に任され、
これは大きな賭けでした。
でも、結果は完全寛解で、
今はまったくなんの問題もありません。
そして、昨夏の膵臓がん。
悪性リンパ腫の定期検診のCTで
偶然見つかり、早期に対応が
可能となりました
さらに、腫瘍の場所が手術が大変な
膵頭部ではなく、膵体尾部だったこと。
手術日が本来なら9月上旬になるところが、
幸い8月21日になったこと。
ラッキーでした。
そして今回の右耳の帯状疱疹。
脳に影響が出ていれば
大変なことになっていましたが、
かろうじてセーフ。
以上、それぞれの病気が軽いものではない中、
危険ラインぎりぎりのところで
助かっているようです。
何か大きな力で守ってもらっているような
気がしています。
「神様はまだ何らかの役割を果たすことを
私に期待してくださっている」
と私なりに解釈しています。
できればこの大きな力で、
肝臓に転移しているがんも
守ってもらいたいと思っている
今日この頃です。
ここ約20日間の苦しく、辛い出来事
2019年12月24日
以下は自分自身のための記録として
記したものですので、ご関心のない方は
スルーしてください。
体調が悪くなり始めてから、その後どのような
経過をたどったのかをまとめています。
12月4日(水):
のどと頭が痛く、風邪のひき始めと思い、
かかりつけ医へ。
風邪の薬をもらう。
12月5日(木):
右耳にできものができているのに気付く。
少し痛みを感じる
12月8日(日):
のどの痛さ変わらず。
頭は部分的にズキズキする。
右耳がさらに痛くなる
12月9日(月):
抗がん剤投与日だったが、
上記を踏まえ投与中止。
病院から帰宅後、急変。
立ち眩みがして、頭痛続く。
立っていられなくなる
12月10日(火):
右耳が腫れ始める。
12月11日(水):
右耳が腫れ、自宅にあった薬を塗布。
立ち眩み、めまいがする。
頭痛、喉の痛みが続く。
12月12日(木):
我慢の限界突破し
、朝一番に救急車
で
病院へ運ばれる
採血、脳のCT検査を受けるが異常はなし。
耳については耳鼻科で診てもらうようにとのこと。
いったん自宅に帰るも、我慢できず
近くの耳鼻科に行く。
診察結果は右耳に帯状疱疹ができているとのこと。
抗がん剤投与を継続してきて
体力、免疫力が低下していること等が
原因と考えられる。
早速、日頃お世話になっている病院宛て、
紹介状を書いてもらう。
12月13日(金):
朝一番に病院へ。タクシーで向かうが
もうフラフラ状態
耳鼻咽喉科へ直行。
即入院との診断
採血、心電図、X線などの検査を受けるが、
頭がクラクラし、乗り物酔い状態で気分最悪
今後の方針が決まる。
毎日、午前10時に2種類、午後6時と深夜2時に
1種類の点滴治療を約1週間継続することに。
この中でも毎回共通して投与される点滴が
濃厚なもので血管痛が伴い、かなりハードだった
対策として湯たんぽで血管を温めることによって
痛みを緩和することになった。
さらに、深夜2時の点滴がきつかった
血管痛が伴う上、深夜に起きなければならず、
ゆっくり休むことができない。
入院中は深夜の2時に一度目を覚まし、
それから暗闇の中で1~2時間起きていた
この時も辛かったなぁ~
12月16日(月)
ほんの少し自分でも歩けるようになってきた。
しかし、まだまだ頭がクラクラし、
気分の悪さは変わらず
看護師さんに身体を拭いてもらう。
骨粗鬆症や便の検査あり。
本日からリハビリ開始。
12月17日(火)
今回入院して初めて、前回お世話になった
広瀬すずちゃん似の看護師さんに会いに行く。
夕方行われたMR検査は
かつてないほど苦しかった
検査自体は痛みなどないが、
朝食後何も食べていなかったことや、
体調の悪さもあったのだろう。
低血糖のような症状になり、
冷や汗が凄く、意識がなくなりかけた
この検査と明日のCT検査は
本来のすい臓がんのための検査。
12月18日(水)
CT検査。
病院内ではクリスマスコンサートが催されるも、
体調を考え観に行かず。
12月19日(木)
いつもお世話になっているがん相談センターの方が
見舞いに来てくれる。
いつもパワーをいただける方で、
今回も「元気」というクリスマスプレゼント
をいただいた。
心臓エコー検査が夕方からあったため、
キャンドルサービスは観られず。
12月20日(金)
聴力検査。1週間前に比べて
かなり改善していた。
入院して初めてシャワーを浴びる
ふらつきもほとんどなく、さっぱりした
夕方、がんの主治医と面談。
MR検査とCT検査は残念な結果だった
この3ヵ月の辛い抗がん剤治療が
効いていなかった
肝臓に転移したがんそのものは
大きくはなっていなかったが、
肝臓にあちこち散らばったがんが
目立ち始めてきているとのこと
今の段階では自覚症状はないが、
これが大きくなってきた時には
自覚症状が出てくるだろうとのこと。
それまでにやっつけておかなけれなならない
結果、いったんこれまで投与してきた
抗がん剤は中止し、来年から新たな
抗がん剤を投与することに。
ポートという小さい物を身体に埋め込み、
そこから抗がん剤を投与するやり方になる。
基本は3週間に1回、通院で行うことに。
これまでの抗がん剤の副作用と比べると、
脱毛はそれほどではないが、
手のしびれがさらにきつくなること、
人によっては下痢を起こすこと、
また白血球の低下をまねいたりすること等が
あげられる
いずれにしても、また副作用と上手につきあって
いかなければならない日々が続くことには
変わりはない
新しい抗がん剤の副作用やアレルギー等を
みるために4~5日間の入院を要するということで、
1月7日に入院することになった。
その際には、広瀬すずちゃんが
勤務する病棟になるので、
再び会いに行った。
また入院することになり、
その際にはまたよろしく頼みますと
お願いしておいた
予定では、
1月7日(火):
ポート挿入のための手術。
これは30分程度の簡単なもので、
局所麻酔で行われる。
1月8日(水):
第1回目の抗がん剤投与。
12月21日(土)
退院。
まだ、急に振り返ったり、首を動かす動作をすると
頭がクラクラする。
今後も飲み薬は継続。
薬の影響からか身体に発疹が出始める
以上が入院前後から退院に至るまでの
流れである。
今後の自分自身の参考として
記録に留めておきたいと思う。
今回の入院はこれまでにないほど
体調が終始良くなく、苦しく辛い日々の連続だった。
確かに昨夏の手術後も辛かったが、
日が進むにつれて体調も良くなっていったが、
今回は退院するその日も決して気分爽快ではなく、
まだまだ完治には日数がかかりそうな
辛さが残っている。
それだけ耳への痛手の後遺症は
残ってしまうということだ
今のところ、この気分の悪さが
いつ完全取れるのかはわからない。
時間をかけて良くなっていくと思うので、
日にち薬というものだろう。
そんなハードな入院生活だったが、
今回お世話になった病棟の看護師のみなさん、
看護助手のみなさん、清掃の方々、
配膳の方々、事務ご担当の方等の
心暖まる気遣い、声がけ、
会話のやり取り等がどんなに救われたことか。
今回も身をもってた体験できたことを
今後の私の研修にも生かしていければと思っている。
この記録の最後に、あらためて今回お世話になった
みなさまにお礼を申し上げたく思います。
来年から、本来のすい臓がんに対しての闘いが
新たに始まります。
でも、苦しい時、辛い時にはみなさまに受けた
あたたかいご支援を思い出し、
乗り越えていきたく思います。
みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。
みなさま、本当にありがとうございました。
記したものですので、ご関心のない方は
スルーしてください。
体調が悪くなり始めてから、その後どのような
経過をたどったのかをまとめています。
12月4日(水):
のどと頭が痛く、風邪のひき始めと思い、
かかりつけ医へ。
風邪の薬をもらう。
12月5日(木):
右耳にできものができているのに気付く。
少し痛みを感じる

12月8日(日):
のどの痛さ変わらず。
頭は部分的にズキズキする。
右耳がさらに痛くなる

12月9日(月):
抗がん剤投与日だったが、
上記を踏まえ投与中止。
病院から帰宅後、急変。
立ち眩みがして、頭痛続く。
立っていられなくなる

12月10日(火):
右耳が腫れ始める。
12月11日(水):
右耳が腫れ、自宅にあった薬を塗布。
立ち眩み、めまいがする。
頭痛、喉の痛みが続く。
12月12日(木):
我慢の限界突破し


病院へ運ばれる

採血、脳のCT検査を受けるが異常はなし。
耳については耳鼻科で診てもらうようにとのこと。
いったん自宅に帰るも、我慢できず
近くの耳鼻科に行く。
診察結果は右耳に帯状疱疹ができているとのこと。
抗がん剤投与を継続してきて
体力、免疫力が低下していること等が
原因と考えられる。
早速、日頃お世話になっている病院宛て、
紹介状を書いてもらう。
12月13日(金):
朝一番に病院へ。タクシーで向かうが
もうフラフラ状態

耳鼻咽喉科へ直行。
即入院との診断

採血、心電図、X線などの検査を受けるが、
頭がクラクラし、乗り物酔い状態で気分最悪

今後の方針が決まる。
毎日、午前10時に2種類、午後6時と深夜2時に
1種類の点滴治療を約1週間継続することに。
この中でも毎回共通して投与される点滴が
濃厚なもので血管痛が伴い、かなりハードだった

対策として湯たんぽで血管を温めることによって
痛みを緩和することになった。
さらに、深夜2時の点滴がきつかった

血管痛が伴う上、深夜に起きなければならず、
ゆっくり休むことができない。
入院中は深夜の2時に一度目を覚まし、
それから暗闇の中で1~2時間起きていた

この時も辛かったなぁ~

12月16日(月)
ほんの少し自分でも歩けるようになってきた。
しかし、まだまだ頭がクラクラし、
気分の悪さは変わらず

看護師さんに身体を拭いてもらう。
骨粗鬆症や便の検査あり。
本日からリハビリ開始。
12月17日(火)
今回入院して初めて、前回お世話になった
広瀬すずちゃん似の看護師さんに会いに行く。
夕方行われたMR検査は
かつてないほど苦しかった

検査自体は痛みなどないが、
朝食後何も食べていなかったことや、
体調の悪さもあったのだろう。
低血糖のような症状になり、
冷や汗が凄く、意識がなくなりかけた

この検査と明日のCT検査は
本来のすい臓がんのための検査。
12月18日(水)
CT検査。
病院内ではクリスマスコンサートが催されるも、
体調を考え観に行かず。
12月19日(木)
いつもお世話になっているがん相談センターの方が
見舞いに来てくれる。
いつもパワーをいただける方で、
今回も「元気」というクリスマスプレゼント

心臓エコー検査が夕方からあったため、
キャンドルサービスは観られず。
12月20日(金)
聴力検査。1週間前に比べて
かなり改善していた。
入院して初めてシャワーを浴びる

ふらつきもほとんどなく、さっぱりした

夕方、がんの主治医と面談。
MR検査とCT検査は残念な結果だった

この3ヵ月の辛い抗がん剤治療が
効いていなかった

肝臓に転移したがんそのものは
大きくはなっていなかったが、
肝臓にあちこち散らばったがんが
目立ち始めてきているとのこと

今の段階では自覚症状はないが、
これが大きくなってきた時には
自覚症状が出てくるだろうとのこと。
それまでにやっつけておかなけれなならない

結果、いったんこれまで投与してきた
抗がん剤は中止し、来年から新たな
抗がん剤を投与することに。
ポートという小さい物を身体に埋め込み、
そこから抗がん剤を投与するやり方になる。
基本は3週間に1回、通院で行うことに。
これまでの抗がん剤の副作用と比べると、
脱毛はそれほどではないが、
手のしびれがさらにきつくなること、
人によっては下痢を起こすこと、
また白血球の低下をまねいたりすること等が
あげられる

いずれにしても、また副作用と上手につきあって
いかなければならない日々が続くことには
変わりはない

新しい抗がん剤の副作用やアレルギー等を
みるために4~5日間の入院を要するということで、
1月7日に入院することになった。
その際には、広瀬すずちゃんが
勤務する病棟になるので、
再び会いに行った。
また入院することになり、
その際にはまたよろしく頼みますと
お願いしておいた

予定では、
1月7日(火):
ポート挿入のための手術。
これは30分程度の簡単なもので、
局所麻酔で行われる。
1月8日(水):
第1回目の抗がん剤投与。
12月21日(土)
退院。
まだ、急に振り返ったり、首を動かす動作をすると
頭がクラクラする。
今後も飲み薬は継続。
薬の影響からか身体に発疹が出始める

以上が入院前後から退院に至るまでの
流れである。
今後の自分自身の参考として
記録に留めておきたいと思う。
今回の入院はこれまでにないほど
体調が終始良くなく、苦しく辛い日々の連続だった。
確かに昨夏の手術後も辛かったが、
日が進むにつれて体調も良くなっていったが、
今回は退院するその日も決して気分爽快ではなく、
まだまだ完治には日数がかかりそうな
辛さが残っている。
それだけ耳への痛手の後遺症は
残ってしまうということだ

今のところ、この気分の悪さが
いつ完全取れるのかはわからない。
時間をかけて良くなっていくと思うので、
日にち薬というものだろう。
そんなハードな入院生活だったが、
今回お世話になった病棟の看護師のみなさん、
看護助手のみなさん、清掃の方々、
配膳の方々、事務ご担当の方等の
心暖まる気遣い、声がけ、
会話のやり取り等がどんなに救われたことか。
今回も身をもってた体験できたことを
今後の私の研修にも生かしていければと思っている。
この記録の最後に、あらためて今回お世話になった
みなさまにお礼を申し上げたく思います。
来年から、本来のすい臓がんに対しての闘いが
新たに始まります。
でも、苦しい時、辛い時にはみなさまに受けた
あたたかいご支援を思い出し、
乗り越えていきたく思います。
みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。
みなさま、本当にありがとうございました。
本日退院→来年再入院
2019年12月21日
本日、とりあえず「いったん」退院します。
「いったん」というのは、
また来年の1月7日(火)には
再入院しなければならないためです。
このあたりの詳しいことについては、
退院し少し落ち着いたら書こうと思います。
いずれにせよ、年末年始は
帰宅できるのて、
良しとしなければなりません。
1週間前の今頃は体力、気力とも
どん底だったことを考えれば、
治療は辛かったけれども
頑張った甲斐がありました。
「いったん」というのは、
また来年の1月7日(火)には
再入院しなければならないためです。
このあたりの詳しいことについては、
退院し少し落ち着いたら書こうと思います。
いずれにせよ、年末年始は
帰宅できるのて、
良しとしなければなりません。
1週間前の今頃は体力、気力とも
どん底だったことを考えれば、
治療は辛かったけれども
頑張った甲斐がありました。