終了!還暦過ぎのオヤジのキャンパスライフ
2019年07月31日
2月1日から始まった還暦過ぎのオヤジの
キャンパスライフが昨日終わりました。
毎年のことですが、始まった頃は
この道をあと何度歩くんだろう、
この階段を何回登り降りするのだろうと思います。
でも、時の経つのは早いもの。
半年間なんてあっという間です。
雪の降るキャンパス
桜の花々で化粧されたキャンパス
新入生が入学して青春があふれるキャンパス
雨の中でも体育会系の部員が懸命に走るグラウンド
長蛇の列の食堂
満員のバス
昼休みに見た学生団体のプロレス試合
散歩した遊歩道
そして最終日の昨日。ラストシーンは太陽がエールを
送り続けるキャンパス
目を閉じると、様々な場面が思い出されます。
今年もたくさんの学生さんに会いました。
彼ら彼女らが何年か後に、
あの時あんな社会人に出会えて良かった、
あんな大人に自分もなりたい、
と思ってもらえれば幸いです。
私もこの半年間、みなさんのおかげで
充実した日々を送ることができました。
私からもお礼を言いたく思います。
いつかどこかで、成長したみなさんに
会えることを期待して・・・
みなさん、ありがとう!
キャンパスライフが昨日終わりました。
毎年のことですが、始まった頃は
この道をあと何度歩くんだろう、
この階段を何回登り降りするのだろうと思います。
でも、時の経つのは早いもの。
半年間なんてあっという間です。
雪の降るキャンパス

桜の花々で化粧されたキャンパス

新入生が入学して青春があふれるキャンパス

雨の中でも体育会系の部員が懸命に走るグラウンド

長蛇の列の食堂

満員のバス

昼休みに見た学生団体のプロレス試合

散歩した遊歩道

そして最終日の昨日。ラストシーンは太陽がエールを
送り続けるキャンパス

目を閉じると、様々な場面が思い出されます。
今年もたくさんの学生さんに会いました。
彼ら彼女らが何年か後に、
あの時あんな社会人に出会えて良かった、
あんな大人に自分もなりたい、
と思ってもらえれば幸いです。
私もこの半年間、みなさんのおかげで
充実した日々を送ることができました。
私からもお礼を言いたく思います。
いつかどこかで、成長したみなさんに
会えることを期待して・・・
みなさん、ありがとう!
静かな大津港の夜景
2019年07月29日
大津京は台風6号の直撃からはずれ、
一昨日の夜は静かな大津港の夜景を
見ることができました。

ちなみに、今回の台風6号は
「ナーリー」と呼ぶようです。
すぐに熱帯低気圧に「なーりー」ましたが・・・
一昨日の夜は静かな大津港の夜景を
見ることができました。

ちなみに、今回の台風6号は
「ナーリー」と呼ぶようです。
すぐに熱帯低気圧に「なーりー」ましたが・・・

赤い彗星「シャア専用」マッサージ機、ルピナスROBO
2019年07月28日
ファミリーイナダのマッサージ機、
赤い彗星「シャア専用」マッサージ機、
ルピナスROBOが以前、イオンスタイル大津京に
展示されていました。
白い方もガンダムをイメージさせますね。
私は特にガンダムファンというわけではありませんが、
でもこのマッサージ機、やっぱり格好いいですね。
もし、どちらかを買うとすると、どちらを選ぼうかな、
と想像するのも楽しいものです。
赤い彗星「シャア専用」マッサージ機、
ルピナスROBOが以前、イオンスタイル大津京に
展示されていました。


白い方もガンダムをイメージさせますね。
私は特にガンダムファンというわけではありませんが、
でもこのマッサージ機、やっぱり格好いいですね。
もし、どちらかを買うとすると、どちらを選ぼうかな、
と想像するのも楽しいものです。
一夜明けて、静寂の皇子山球場
2019年07月27日
昨日の高校野球決勝戦
から一夜明けて・・・

皇子山球場周辺は昨日の喧噪が
嘘のように静寂に包まれていました。
昨日は誰かここで写真を撮ったんでしょうね

絵画風にすると

それでは全体像を

イベントは熱気あふれた当日も良いですが、
こうして翌日の静寂に包まれるのもいいものです。


皇子山球場周辺は昨日の喧噪が
嘘のように静寂に包まれていました。
昨日は誰かここで写真を撮ったんでしょうね


絵画風にすると


それでは全体像を


イベントは熱気あふれた当日も良いですが、
こうして翌日の静寂に包まれるのもいいものです。
高校野球・滋賀大会決勝戦「光泉vs近江」、いい試合でした!!
2019年07月26日
高校野球・滋賀大会決勝は
緊迫感あふれる投手戦で、
どちらが勝ってもおかしくない
決勝戦にふさわしい見事な試合でした
1対0で近江高校が優勝
両校のみなさま、お疲れ様でした。
球場のまわりはまだ興奮さめやらぬようで、
既に18:30分を過ぎているにもかかわらず、
選手を含め結構、人が残っているようです
ともあれ、優勝した近江高校には
滋賀県の代表として、胸を張って
甲子園で戦って欲しく思います。
今年も夏の甲子園、どんなドラマが
生まれるのか、今から楽しみです。
緊迫感あふれる投手戦で、
どちらが勝ってもおかしくない
決勝戦にふさわしい見事な試合でした

1対0で近江高校が優勝

両校のみなさま、お疲れ様でした。
球場のまわりはまだ興奮さめやらぬようで、
既に18:30分を過ぎているにもかかわらず、
選手を含め結構、人が残っているようです

ともあれ、優勝した近江高校には
滋賀県の代表として、胸を張って
甲子園で戦って欲しく思います。
今年も夏の甲子園、どんなドラマが
生まれるのか、今から楽しみです。
高校野球・滋賀大会決勝戦「光泉vs近江」、今まさに進行中
2019年07月26日
今日、仕事は休み
今まさに、近くの皇子山球場では
高校野球の滋賀大会決勝戦、
光泉高校vs近江高校の試合が行われている。
せっかくなので観に行こうと思い、
プレイボール
の15分前に行ったら・・・。
とんでもなかった
切符を買うのに、かなり人が並んでいる
仮に入場しても、ヘタをすると暑い中、
外野席かも・・・。
なぁ~んて考えていたら、
家に帰ってエアコンつけて、涼しい中で
テレビで観戦しよう
と即断
健康バリバリ、暑いのなんかへっちゃら、
であればいいのだが、まだまだそんなことを
言える状態でもないので、無理しないことにした。
高校野球は昨年の夏、がん宣告で落ち込んでいる時、
勇気や元気をもらったので、今年も応援したいと思う。
現在、6回表、光泉の攻撃中。
0対0の投手戦で緊迫した試合が続いている。
光泉、近江、両校の選手、がんばれ

今まさに、近くの皇子山球場では
高校野球の滋賀大会決勝戦、
光泉高校vs近江高校の試合が行われている。
せっかくなので観に行こうと思い、
プレイボール

とんでもなかった

切符を買うのに、かなり人が並んでいる

仮に入場しても、ヘタをすると暑い中、
外野席かも・・・。
なぁ~んて考えていたら、
家に帰ってエアコンつけて、涼しい中で
テレビで観戦しよう


健康バリバリ、暑いのなんかへっちゃら、
であればいいのだが、まだまだそんなことを
言える状態でもないので、無理しないことにした。
高校野球は昨年の夏、がん宣告で落ち込んでいる時、
勇気や元気をもらったので、今年も応援したいと思う。
現在、6回表、光泉の攻撃中。
0対0の投手戦で緊迫した試合が続いている。
光泉、近江、両校の選手、がんばれ

「参加して良かった」と思ってもらえるセミナー・研修を目指して
2019年07月26日
私の仕事では、基本的に初めて
お目にかかる人達を相手にお話をします。
そのため、話の導入部分は工夫が必要です。
どんな話をすれば、またどんな口調で
語りかければいいかに気を遣います。
このつかみの部分がうまくいくと
スタートダッシュ成功です。
ただし、この導入部分は参加者の年齢や性別、
社会経験などに応じて柔軟に
使い分けをする必要があります。
スタートダッシュがうまく行けば、
あとはいかに自分の色を出せるかが重要です。
例えば、就職支援セミナーにおいて、
履歴書の書き方の説明をできる人は
たくさんいることでしょう。
でも、その人なりの人間性を
いかに出して伝えられるかとなると
そう簡単にはいきません。
ただ単に知識を知識として伝えられるか、
それとも自分の色を出しながら、
自分なりの調味料で味付けられるか。
この差が受講生の満足度の違いの一つと考えます。
自分の色を出すためには、
やはり多くのことを当事者意識を持って経験することです。
そして、それを自分の言葉で
ていねいに誰にでもわかるように伝えることが必要です。
専門用語はなるべく使わないことも大切で、
例えば、「有効求人倍率は2倍です」
というような伝え方は駄目です。
「ハローワークで仕事を探している人、1人に対して
何件の求人案件があるかを示す数字が
有効求人倍率です。その数字が2倍なら
1人に対して2件の求人があるという意味です」
との説明ならわかりやすくなります。
あることを誰にでもわかりやすく説明する、
これは実は結構難しいんです。
同じ業界の人なら専門用語や独特の言い回しでも
伝わりますが、セミナー・研修の受講者は
様々な人がいらっしゃるので、
誰にでも理解しやすいような表現が求められます。
そのためには、自分自身が説明しようとしていることを
よく理解していなければなりません。
もちろん使ってはいけない言葉や表現にも
注意する必要がありますし、
また、声のトーン、大小、高低、スピード、
間の取り方、表情等についても
磨きをかけておく必要があります。
聞きやすく、理解しやすく、参加して良かった
と思ってもらえるものにするため、
これからも日々努力していきたいと思います。
お目にかかる人達を相手にお話をします。
そのため、話の導入部分は工夫が必要です。
どんな話をすれば、またどんな口調で
語りかければいいかに気を遣います。
このつかみの部分がうまくいくと
スタートダッシュ成功です。
ただし、この導入部分は参加者の年齢や性別、
社会経験などに応じて柔軟に
使い分けをする必要があります。
スタートダッシュがうまく行けば、
あとはいかに自分の色を出せるかが重要です。
例えば、就職支援セミナーにおいて、
履歴書の書き方の説明をできる人は
たくさんいることでしょう。
でも、その人なりの人間性を
いかに出して伝えられるかとなると
そう簡単にはいきません。
ただ単に知識を知識として伝えられるか、
それとも自分の色を出しながら、
自分なりの調味料で味付けられるか。
この差が受講生の満足度の違いの一つと考えます。
自分の色を出すためには、
やはり多くのことを当事者意識を持って経験することです。
そして、それを自分の言葉で
ていねいに誰にでもわかるように伝えることが必要です。
専門用語はなるべく使わないことも大切で、
例えば、「有効求人倍率は2倍です」
というような伝え方は駄目です。
「ハローワークで仕事を探している人、1人に対して
何件の求人案件があるかを示す数字が
有効求人倍率です。その数字が2倍なら
1人に対して2件の求人があるという意味です」
との説明ならわかりやすくなります。
あることを誰にでもわかりやすく説明する、
これは実は結構難しいんです。
同じ業界の人なら専門用語や独特の言い回しでも
伝わりますが、セミナー・研修の受講者は
様々な人がいらっしゃるので、
誰にでも理解しやすいような表現が求められます。
そのためには、自分自身が説明しようとしていることを
よく理解していなければなりません。
もちろん使ってはいけない言葉や表現にも
注意する必要がありますし、
また、声のトーン、大小、高低、スピード、
間の取り方、表情等についても
磨きをかけておく必要があります。
聞きやすく、理解しやすく、参加して良かった
と思ってもらえるものにするため、
これからも日々努力していきたいと思います。
夏が来た!!祇園祭・後祭!大津京も力強い雲、雲、雲!!
2019年07月24日
今日、近畿地方は梅雨明けとなったが
いきなり猛暑がやって来た感じだ
京都では祇園祭山鉾巡行・後祭が行われ、
いよいよ夏本番


ここ大津京でも空を見上げると、
雲の形も夏の到来を告げていた。

奇しくもちょうど1年前の今日、入院した
すい臓がんの宣告を受け
絶望のどん底だったあの日、
同じように空には大きな雲が浮いていた。
でも今日はその見え方が違っていた。
青空はより青く、雲はより大きく見えた。

いきなり猛暑がやって来た感じだ

京都では祇園祭山鉾巡行・後祭が行われ、
いよいよ夏本番



ここ大津京でも空を見上げると、
雲の形も夏の到来を告げていた。

奇しくもちょうど1年前の今日、入院した

すい臓がんの宣告を受け
絶望のどん底だったあの日、
同じように空には大きな雲が浮いていた。
でも今日はその見え方が違っていた。
青空はより青く、雲はより大きく見えた。
大津港の幻想的な月の光
2019年07月24日
感動、そして涙。約50年ぶりに再会した恩師の言葉
2019年07月23日
私にとっての思い出の先生は
小学校5、6年生の時の女性のS先生です。
先生に巡り会うまで、私はどちらかというとおとなしく、
引っ込み思案の少年でした
そんな私を見て、先生はもう少し自分自身を
表現させようとしたのかもしれません。
ある日、先生は「希望する生徒は私と
交換日記をしましょう」と言われたんです。
「ん?交換日記?何?それ?」と私は思いました。
先生は「そんなに堅く考えないで。
その日、どんなことがあったか、誰と遊んだか、
どんなことを考えたか、というようなことを書けばいいのよ。
それを私が読んで、返事を書くから」と言われました。
私は「なんだか面白そう、人の前に立って
何かを話すことはないんだし、
気持ちも楽だな。よし、やってみよう!」と思いました
こうしてS先生との交換日記が始まりました。
実際にやってみると、これがなかなか面白かったんです
私が書いたことに、先生は丁寧に赤いボールペンで
返事を書いてくださいました。
交換日記をしていた生徒は私だけではなかったため、
先生にとって生徒それぞれに返事を書くことは
ひと仕事だったと思います。
そんな中で、本当に先生のひと言ひと言は
毎回、身にしみました
何ヵ月か過ぎた頃、先生の返事には
「あっちゃん(私は先生にこう呼ばれていました)、
最近、文章や言葉が柔らかく自然になってきたね。
あっちゃん自身が良く表われるように
なってきたよ」と記されていました。
私はなんだかとってもうれしくなりました
先生と交換日記を始めて本当に良かった、と思いました。
この交換日記の効果もあり、私は以前に比べて、
少し積極的になり、人の前に立っても
物怖じしない少年になっていました
やがて小学校を卒業する日がやって来ました。
S先生からの旅立ちの日です。
「先生!本当にありがとうございました!
先生が僕を変えてくれました」
しかし、S先生とはその後、お目にかかることが
ありませんでした
さて、私は今、仕事を探している人たちのための
就職支援セミナーの講師をしています。
ある日のこと、セミナー中に昔お世話になった
恩師の話になりました。
私が今、こうして人の前に立って
セミナーの講師をしているのも、
S先生のおかげであることを話しました。
すると、受講生の一人がこのように言うんです。
「そういえば、私の住んでいる近くに、
昔、小学校の先生だった人がいますよ」
私は最初聞き流していましたが、
その受講生の住んでいる場所や、
その近くに住んでおられる先生の話を聞いていると、
妙にS先生に重なるものがあったんです。
「もしかしたら・・・。でも、まさか
」、と私は思いましたが、
「でも思い切って、その先生を探してみよう!
もしS先生ではなかったら、その時は諦めよう」と思い、
早速行動に移しました。
その先生が住んでおられるあたりに行き、
まずはご近所に聞き込みを開始しました。
「申し訳ございません、この近くに、
昔、小学校の先生だった方が
お暮らしと聞いてきたのですが、
ご存知ありませんか」ってな具合です。
最初はなかなか情報が得られませんでしたが、
ついに6人目の人から情報を得ることができました。
「あっ、そういう方なら、この一つ向こうの道の
青い屋根のお宅に住んでおられる方がそうじゃないかなぁ~」
高鳴る胸、もしかしたら、もしかしたら・・・
でも、S先生と違っていたら・・・。
すぐに青い屋根の家を見つけることができました。
そして、表札を見ました。
間違いありません!!あの先生のお名前が記してありました
でも、私はその時、大事なことを思い出しました。
私は先生のことを良く覚えている。
でも、先生にとっては私はたくさん、たくさんいる卒業生の一人。
まして、卒業してから約50年も経っているんです。
覚えておられるわけがありません
だから、インターフォンを押して何と言おうか迷ったんです。
自分の名前を言っても、先生はおわかりにならないだろう。
仮に玄関に出てこられても、子供の頃の私と今の私では
顔も声も大きく変わっている。
そんなことをあれこれ考えていると、
インターフォンをなかなか押すことができませんでした。
でも、せっかっくここまで来たんです。
なんとかる!という気持ちで
私は思いきってインターフォンを押しました。
~ピンポ~ン~
「ハイ」という懐かしい声が聞こえてきました。
間違いなくS先生の声でした。
約50年も経っているにもかかわらず、
私の耳はちゃんと先生の声を覚えていたんです。
「突然お邪魔して申し訳ございません。
私、今から50年前に先生の教え子だった者です」
とフルネームを伝えたんです。
そうしたら、信じられない言葉が返ってきたんです。
「あっ!あっちゃんね!!」
「えっ!?先生!!私のこと、
覚えてくださってるんですか」と私。
「あたりまえよ、そんなこと!
私の教え子はすべて覚えているわよ」と先生。
ポロポロと流れ出す涙、涙、涙
私はあふれ出る涙をおさえることができませんでした
「ありがとうございます、ありがとうございます!先生!!」
と心の中で何度も何度もつぶやきました。
S先生って本当にすごいな。
私も今、受講生のみなさんから
先生と呼ばれていますが、
「S先生のような先生にはまだまだ
なれていないな」と思いました。
約50年ぶりにお目にかかった先生は、
さすがに髪の毛に白いものが
目立つようになっていましたが、
でも私の中に生き続けている先生そのものでした。
「先生、あの時は大変お世話になりました。
今、私は先生と同じように人に対して
物事を教える立場の仕事をしております。
今の私があるのは先生のおかげです」
と先生にあらためて感謝の言葉を伝えました。
50年の長い年月をタイムスリップして、
私は先生と色々なことを語り合いました。
思い切って、先生を探して良かった。
先生、いつまでもお元気で!!
ちなみに、あの時の交換日記は、
私の一生の宝物として、今も大切に持っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちなみに、この話、先日(7月15日)、
ブログにも書きましたが、
谷村新司さんがラジオ番組「MBSヤングタウン」の中の
<ちょっといい話>のコーナーで、
アンドレ・ギャニオンの「愛につつまれて」をBGMに
紹介いただいた話です。
その翌週の同番組でも、谷村さんをはじめ
アリスのみなさんから、
「先週は先生との感動的な話でしたね~」
とのコメントをいただきました。
投稿して本当に良かったです。
7月15日のブログはこちらです
小学校5、6年生の時の女性のS先生です。
先生に巡り会うまで、私はどちらかというとおとなしく、
引っ込み思案の少年でした

そんな私を見て、先生はもう少し自分自身を
表現させようとしたのかもしれません。
ある日、先生は「希望する生徒は私と
交換日記をしましょう」と言われたんです。
「ん?交換日記?何?それ?」と私は思いました。
先生は「そんなに堅く考えないで。
その日、どんなことがあったか、誰と遊んだか、
どんなことを考えたか、というようなことを書けばいいのよ。
それを私が読んで、返事を書くから」と言われました。
私は「なんだか面白そう、人の前に立って
何かを話すことはないんだし、
気持ちも楽だな。よし、やってみよう!」と思いました

こうしてS先生との交換日記が始まりました。
実際にやってみると、これがなかなか面白かったんです

私が書いたことに、先生は丁寧に赤いボールペンで
返事を書いてくださいました。
交換日記をしていた生徒は私だけではなかったため、
先生にとって生徒それぞれに返事を書くことは
ひと仕事だったと思います。
そんな中で、本当に先生のひと言ひと言は
毎回、身にしみました

何ヵ月か過ぎた頃、先生の返事には
「あっちゃん(私は先生にこう呼ばれていました)、
最近、文章や言葉が柔らかく自然になってきたね。
あっちゃん自身が良く表われるように
なってきたよ」と記されていました。
私はなんだかとってもうれしくなりました

先生と交換日記を始めて本当に良かった、と思いました。
この交換日記の効果もあり、私は以前に比べて、
少し積極的になり、人の前に立っても
物怖じしない少年になっていました

やがて小学校を卒業する日がやって来ました。
S先生からの旅立ちの日です。
「先生!本当にありがとうございました!
先生が僕を変えてくれました」
しかし、S先生とはその後、お目にかかることが
ありませんでした

さて、私は今、仕事を探している人たちのための
就職支援セミナーの講師をしています。
ある日のこと、セミナー中に昔お世話になった
恩師の話になりました。
私が今、こうして人の前に立って
セミナーの講師をしているのも、
S先生のおかげであることを話しました。
すると、受講生の一人がこのように言うんです。
「そういえば、私の住んでいる近くに、
昔、小学校の先生だった人がいますよ」
私は最初聞き流していましたが、
その受講生の住んでいる場所や、
その近くに住んでおられる先生の話を聞いていると、
妙にS先生に重なるものがあったんです。
「もしかしたら・・・。でも、まさか

「でも思い切って、その先生を探してみよう!
もしS先生ではなかったら、その時は諦めよう」と思い、
早速行動に移しました。
その先生が住んでおられるあたりに行き、
まずはご近所に聞き込みを開始しました。
「申し訳ございません、この近くに、
昔、小学校の先生だった方が
お暮らしと聞いてきたのですが、
ご存知ありませんか」ってな具合です。
最初はなかなか情報が得られませんでしたが、
ついに6人目の人から情報を得ることができました。
「あっ、そういう方なら、この一つ向こうの道の
青い屋根のお宅に住んでおられる方がそうじゃないかなぁ~」
高鳴る胸、もしかしたら、もしかしたら・・・

でも、S先生と違っていたら・・・。
すぐに青い屋根の家を見つけることができました。
そして、表札を見ました。
間違いありません!!あの先生のお名前が記してありました

でも、私はその時、大事なことを思い出しました。
私は先生のことを良く覚えている。
でも、先生にとっては私はたくさん、たくさんいる卒業生の一人。
まして、卒業してから約50年も経っているんです。
覚えておられるわけがありません

だから、インターフォンを押して何と言おうか迷ったんです。
自分の名前を言っても、先生はおわかりにならないだろう。
仮に玄関に出てこられても、子供の頃の私と今の私では
顔も声も大きく変わっている。
そんなことをあれこれ考えていると、
インターフォンをなかなか押すことができませんでした。
でも、せっかっくここまで来たんです。
なんとかる!という気持ちで
私は思いきってインターフォンを押しました。
~ピンポ~ン~
「ハイ」という懐かしい声が聞こえてきました。
間違いなくS先生の声でした。
約50年も経っているにもかかわらず、
私の耳はちゃんと先生の声を覚えていたんです。
「突然お邪魔して申し訳ございません。
私、今から50年前に先生の教え子だった者です」
とフルネームを伝えたんです。
そうしたら、信じられない言葉が返ってきたんです。
「あっ!あっちゃんね!!」
「えっ!?先生!!私のこと、
覚えてくださってるんですか」と私。
「あたりまえよ、そんなこと!
私の教え子はすべて覚えているわよ」と先生。
ポロポロと流れ出す涙、涙、涙

私はあふれ出る涙をおさえることができませんでした

「ありがとうございます、ありがとうございます!先生!!」
と心の中で何度も何度もつぶやきました。
S先生って本当にすごいな。
私も今、受講生のみなさんから
先生と呼ばれていますが、
「S先生のような先生にはまだまだ
なれていないな」と思いました。
約50年ぶりにお目にかかった先生は、
さすがに髪の毛に白いものが
目立つようになっていましたが、
でも私の中に生き続けている先生そのものでした。
「先生、あの時は大変お世話になりました。
今、私は先生と同じように人に対して
物事を教える立場の仕事をしております。
今の私があるのは先生のおかげです」
と先生にあらためて感謝の言葉を伝えました。
50年の長い年月をタイムスリップして、
私は先生と色々なことを語り合いました。
思い切って、先生を探して良かった。
先生、いつまでもお元気で!!
ちなみに、あの時の交換日記は、
私の一生の宝物として、今も大切に持っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちなみに、この話、先日(7月15日)、
ブログにも書きましたが、
谷村新司さんがラジオ番組「MBSヤングタウン」の中の
<ちょっといい話>のコーナーで、
アンドレ・ギャニオンの「愛につつまれて」をBGMに
紹介いただいた話です。
その翌週の同番組でも、谷村さんをはじめ
アリスのみなさんから、
「先週は先生との感動的な話でしたね~」
とのコメントをいただきました。
投稿して本当に良かったです。
7月15日のブログはこちらです

2019/07/15