感動、そして涙。約50年ぶりに再会した恩師の言葉
2019年07月23日
私にとっての思い出の先生は
小学校5、6年生の時の女性のS先生です。
先生に巡り会うまで、私はどちらかというとおとなしく、
引っ込み思案の少年でした
そんな私を見て、先生はもう少し自分自身を
表現させようとしたのかもしれません。
ある日、先生は「希望する生徒は私と
交換日記をしましょう」と言われたんです。
「ん?交換日記?何?それ?」と私は思いました。
先生は「そんなに堅く考えないで。
その日、どんなことがあったか、誰と遊んだか、
どんなことを考えたか、というようなことを書けばいいのよ。
それを私が読んで、返事を書くから」と言われました。
私は「なんだか面白そう、人の前に立って
何かを話すことはないんだし、
気持ちも楽だな。よし、やってみよう!」と思いました
こうしてS先生との交換日記が始まりました。
実際にやってみると、これがなかなか面白かったんです
私が書いたことに、先生は丁寧に赤いボールペンで
返事を書いてくださいました。
交換日記をしていた生徒は私だけではなかったため、
先生にとって生徒それぞれに返事を書くことは
ひと仕事だったと思います。
そんな中で、本当に先生のひと言ひと言は
毎回、身にしみました
何ヵ月か過ぎた頃、先生の返事には
「あっちゃん(私は先生にこう呼ばれていました)、
最近、文章や言葉が柔らかく自然になってきたね。
あっちゃん自身が良く表われるように
なってきたよ」と記されていました。
私はなんだかとってもうれしくなりました
先生と交換日記を始めて本当に良かった、と思いました。
この交換日記の効果もあり、私は以前に比べて、
少し積極的になり、人の前に立っても
物怖じしない少年になっていました
やがて小学校を卒業する日がやって来ました。
S先生からの旅立ちの日です。
「先生!本当にありがとうございました!
先生が僕を変えてくれました」
しかし、S先生とはその後、お目にかかることが
ありませんでした
さて、私は今、仕事を探している人たちのための
就職支援セミナーの講師をしています。
ある日のこと、セミナー中に昔お世話になった
恩師の話になりました。
私が今、こうして人の前に立って
セミナーの講師をしているのも、
S先生のおかげであることを話しました。
すると、受講生の一人がこのように言うんです。
「そういえば、私の住んでいる近くに、
昔、小学校の先生だった人がいますよ」
私は最初聞き流していましたが、
その受講生の住んでいる場所や、
その近くに住んでおられる先生の話を聞いていると、
妙にS先生に重なるものがあったんです。
「もしかしたら・・・。でも、まさか
」、と私は思いましたが、
「でも思い切って、その先生を探してみよう!
もしS先生ではなかったら、その時は諦めよう」と思い、
早速行動に移しました。
その先生が住んでおられるあたりに行き、
まずはご近所に聞き込みを開始しました。
「申し訳ございません、この近くに、
昔、小学校の先生だった方が
お暮らしと聞いてきたのですが、
ご存知ありませんか」ってな具合です。
最初はなかなか情報が得られませんでしたが、
ついに6人目の人から情報を得ることができました。
「あっ、そういう方なら、この一つ向こうの道の
青い屋根のお宅に住んでおられる方がそうじゃないかなぁ~」
高鳴る胸、もしかしたら、もしかしたら・・・
でも、S先生と違っていたら・・・。
すぐに青い屋根の家を見つけることができました。
そして、表札を見ました。
間違いありません!!あの先生のお名前が記してありました
でも、私はその時、大事なことを思い出しました。
私は先生のことを良く覚えている。
でも、先生にとっては私はたくさん、たくさんいる卒業生の一人。
まして、卒業してから約50年も経っているんです。
覚えておられるわけがありません
だから、インターフォンを押して何と言おうか迷ったんです。
自分の名前を言っても、先生はおわかりにならないだろう。
仮に玄関に出てこられても、子供の頃の私と今の私では
顔も声も大きく変わっている。
そんなことをあれこれ考えていると、
インターフォンをなかなか押すことができませんでした。
でも、せっかっくここまで来たんです。
なんとかる!という気持ちで
私は思いきってインターフォンを押しました。
~ピンポ~ン~
「ハイ」という懐かしい声が聞こえてきました。
間違いなくS先生の声でした。
約50年も経っているにもかかわらず、
私の耳はちゃんと先生の声を覚えていたんです。
「突然お邪魔して申し訳ございません。
私、今から50年前に先生の教え子だった者です」
とフルネームを伝えたんです。
そうしたら、信じられない言葉が返ってきたんです。
「あっ!あっちゃんね!!」
「えっ!?先生!!私のこと、
覚えてくださってるんですか」と私。
「あたりまえよ、そんなこと!
私の教え子はすべて覚えているわよ」と先生。
ポロポロと流れ出す涙、涙、涙
私はあふれ出る涙をおさえることができませんでした
「ありがとうございます、ありがとうございます!先生!!」
と心の中で何度も何度もつぶやきました。
S先生って本当にすごいな。
私も今、受講生のみなさんから
先生と呼ばれていますが、
「S先生のような先生にはまだまだ
なれていないな」と思いました。
約50年ぶりにお目にかかった先生は、
さすがに髪の毛に白いものが
目立つようになっていましたが、
でも私の中に生き続けている先生そのものでした。
「先生、あの時は大変お世話になりました。
今、私は先生と同じように人に対して
物事を教える立場の仕事をしております。
今の私があるのは先生のおかげです」
と先生にあらためて感謝の言葉を伝えました。
50年の長い年月をタイムスリップして、
私は先生と色々なことを語り合いました。
思い切って、先生を探して良かった。
先生、いつまでもお元気で!!
ちなみに、あの時の交換日記は、
私の一生の宝物として、今も大切に持っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちなみに、この話、先日(7月15日)、
ブログにも書きましたが、
谷村新司さんがラジオ番組「MBSヤングタウン」の中の
<ちょっといい話>のコーナーで、
アンドレ・ギャニオンの「愛につつまれて」をBGMに
紹介いただいた話です。
その翌週の同番組でも、谷村さんをはじめ
アリスのみなさんから、
「先週は先生との感動的な話でしたね~」
とのコメントをいただきました。
投稿して本当に良かったです。
7月15日のブログはこちらです
小学校5、6年生の時の女性のS先生です。
先生に巡り会うまで、私はどちらかというとおとなしく、
引っ込み思案の少年でした

そんな私を見て、先生はもう少し自分自身を
表現させようとしたのかもしれません。
ある日、先生は「希望する生徒は私と
交換日記をしましょう」と言われたんです。
「ん?交換日記?何?それ?」と私は思いました。
先生は「そんなに堅く考えないで。
その日、どんなことがあったか、誰と遊んだか、
どんなことを考えたか、というようなことを書けばいいのよ。
それを私が読んで、返事を書くから」と言われました。
私は「なんだか面白そう、人の前に立って
何かを話すことはないんだし、
気持ちも楽だな。よし、やってみよう!」と思いました

こうしてS先生との交換日記が始まりました。
実際にやってみると、これがなかなか面白かったんです

私が書いたことに、先生は丁寧に赤いボールペンで
返事を書いてくださいました。
交換日記をしていた生徒は私だけではなかったため、
先生にとって生徒それぞれに返事を書くことは
ひと仕事だったと思います。
そんな中で、本当に先生のひと言ひと言は
毎回、身にしみました

何ヵ月か過ぎた頃、先生の返事には
「あっちゃん(私は先生にこう呼ばれていました)、
最近、文章や言葉が柔らかく自然になってきたね。
あっちゃん自身が良く表われるように
なってきたよ」と記されていました。
私はなんだかとってもうれしくなりました

先生と交換日記を始めて本当に良かった、と思いました。
この交換日記の効果もあり、私は以前に比べて、
少し積極的になり、人の前に立っても
物怖じしない少年になっていました

やがて小学校を卒業する日がやって来ました。
S先生からの旅立ちの日です。
「先生!本当にありがとうございました!
先生が僕を変えてくれました」
しかし、S先生とはその後、お目にかかることが
ありませんでした

さて、私は今、仕事を探している人たちのための
就職支援セミナーの講師をしています。
ある日のこと、セミナー中に昔お世話になった
恩師の話になりました。
私が今、こうして人の前に立って
セミナーの講師をしているのも、
S先生のおかげであることを話しました。
すると、受講生の一人がこのように言うんです。
「そういえば、私の住んでいる近くに、
昔、小学校の先生だった人がいますよ」
私は最初聞き流していましたが、
その受講生の住んでいる場所や、
その近くに住んでおられる先生の話を聞いていると、
妙にS先生に重なるものがあったんです。
「もしかしたら・・・。でも、まさか

「でも思い切って、その先生を探してみよう!
もしS先生ではなかったら、その時は諦めよう」と思い、
早速行動に移しました。
その先生が住んでおられるあたりに行き、
まずはご近所に聞き込みを開始しました。
「申し訳ございません、この近くに、
昔、小学校の先生だった方が
お暮らしと聞いてきたのですが、
ご存知ありませんか」ってな具合です。
最初はなかなか情報が得られませんでしたが、
ついに6人目の人から情報を得ることができました。
「あっ、そういう方なら、この一つ向こうの道の
青い屋根のお宅に住んでおられる方がそうじゃないかなぁ~」
高鳴る胸、もしかしたら、もしかしたら・・・

でも、S先生と違っていたら・・・。
すぐに青い屋根の家を見つけることができました。
そして、表札を見ました。
間違いありません!!あの先生のお名前が記してありました

でも、私はその時、大事なことを思い出しました。
私は先生のことを良く覚えている。
でも、先生にとっては私はたくさん、たくさんいる卒業生の一人。
まして、卒業してから約50年も経っているんです。
覚えておられるわけがありません

だから、インターフォンを押して何と言おうか迷ったんです。
自分の名前を言っても、先生はおわかりにならないだろう。
仮に玄関に出てこられても、子供の頃の私と今の私では
顔も声も大きく変わっている。
そんなことをあれこれ考えていると、
インターフォンをなかなか押すことができませんでした。
でも、せっかっくここまで来たんです。
なんとかる!という気持ちで
私は思いきってインターフォンを押しました。
~ピンポ~ン~
「ハイ」という懐かしい声が聞こえてきました。
間違いなくS先生の声でした。
約50年も経っているにもかかわらず、
私の耳はちゃんと先生の声を覚えていたんです。
「突然お邪魔して申し訳ございません。
私、今から50年前に先生の教え子だった者です」
とフルネームを伝えたんです。
そうしたら、信じられない言葉が返ってきたんです。
「あっ!あっちゃんね!!」
「えっ!?先生!!私のこと、
覚えてくださってるんですか」と私。
「あたりまえよ、そんなこと!
私の教え子はすべて覚えているわよ」と先生。
ポロポロと流れ出す涙、涙、涙

私はあふれ出る涙をおさえることができませんでした

「ありがとうございます、ありがとうございます!先生!!」
と心の中で何度も何度もつぶやきました。
S先生って本当にすごいな。
私も今、受講生のみなさんから
先生と呼ばれていますが、
「S先生のような先生にはまだまだ
なれていないな」と思いました。
約50年ぶりにお目にかかった先生は、
さすがに髪の毛に白いものが
目立つようになっていましたが、
でも私の中に生き続けている先生そのものでした。
「先生、あの時は大変お世話になりました。
今、私は先生と同じように人に対して
物事を教える立場の仕事をしております。
今の私があるのは先生のおかげです」
と先生にあらためて感謝の言葉を伝えました。
50年の長い年月をタイムスリップして、
私は先生と色々なことを語り合いました。
思い切って、先生を探して良かった。
先生、いつまでもお元気で!!
ちなみに、あの時の交換日記は、
私の一生の宝物として、今も大切に持っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちなみに、この話、先日(7月15日)、
ブログにも書きましたが、
谷村新司さんがラジオ番組「MBSヤングタウン」の中の
<ちょっといい話>のコーナーで、
アンドレ・ギャニオンの「愛につつまれて」をBGMに
紹介いただいた話です。
その翌週の同番組でも、谷村さんをはじめ
アリスのみなさんから、
「先週は先生との感動的な話でしたね~」
とのコメントをいただきました。
投稿して本当に良かったです。
7月15日のブログはこちらです

2019/07/15