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Posted by 滋賀咲くブログ at

人生のターニングポイント(再掲載)

2010年03月21日

昨日(3月20日)の
「自分のお葬式の言葉<記憶に残る人>」の
記事にピグモンさんからコメントをいただきました。

そのことに関連することを、以前(平成20年11月11日)、
タイトルを「人生のターニングポイント」として
ブログに書きましたので、以下に再度、記します。


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「これあげるよ」
隣の男性から私は小さな事務用品をいただきました。
ここは東京のA病院、第2病棟560号室。
その品物が、その夜、その方の形見の品と
なってしまいました。

誰にでも人生のターニングポイントはあると思います。
この病院で過ごした約1年半、
私は実に多くのことを経験しました。
この入院生活は私にとって、
人生のターニングポイントの一つに
なったと今でも思っています。


【入院生活、始まる】
当時、私は33歳。
会社の中でも中心的に働いていかなければ
ならない大事な時期。
それまで挫折ということを知らず、
仕事も順調に進み、
少々天狗になっていた時期でした。
そんな時期に私は病気になり、
入院を余儀なくされました。
結果的には約1年半の間に入退院を
何度となく繰り返すことになりました。
もちろん、その間、会社は休職。
私も健康診断を受けるまでは、
「まさか!」という感じでした。

信じられないまま、入院生活が始まりました。
いつ退院できるのか、そしてそもそも、
病気は治るのだろうか
という不安がありましたが、
当時会社人間だった私は、
同期入社の者に後れを取ってしまうことへの
あせりもありました。


【6人部屋の暮らし】
私の入った部屋は6人部屋でした。
様々な職の幅広い年齢層の方達が
入院されていました。
大企業の役員、町工場の工場長、
病院近くの魚屋のオッチャンなど、
多種多様な人達の集まりで、
一つの小さな組織のようでもありました。
その方達の共通点と言えば、
「病気になるとみんな同じ。
社会での肩書なんかまったく関係ない。
病気になるとみんな弱気になり、頑固になる。
そして、奥様にはまったく頭が上がらない」
ということでした。

約1年半の間に、多くの友達ができました。
メル友風に言えば、
病院(=ホスピタル)の友達なので
「ホス友」とでも言うのでしょうか。
その頃、私はまだ若い方でしたので、
60歳前後のオッチャン達には
息子のような存在だったと思います。
一番辛かったのは、昼間元気に話をしていた方が、
夜になると突然、集中治療室に運ばれて、
そのまま戻ってこられなくなったことが、
しばしばあったことです。
ついほんの3~4時間前には、
私に笑顔を見せて
一生懸命語りかけてくださっていたのに・・・。
さっきいただいた物が、
その方の形見の品になってしまうとは・・・。


【弱者の視点】
経済活動が活発に行われている
この東京の空の下で、こうしたことが、
この場所で繰り返されているという事実。
それまで、毎日、仕事仕事で過ごしてきた私は、
この時初めて「人生」というもの、
「死ぬ」ということを真剣に考えました。
人の一生の儚さ、それが故の生きることの尊さ、
生きるってどういうこと?
仕事をするってどういうこと?
もし運良く病気が治り退院できたら、
どのように生きていこうか等々、
実に様々なことを考えました。

病気になって初めて分かったこと、
気付いたこともたくさんありました。
それは弱者の立場から見える景色、人情、おもいやり、
人の気持ち。
それまで、天狗になり、自分のことしか考えず
走り続けてきた私にとって、目の前に広がる光景は、
まったく新しいものだったのです。

私はその時、思いました。
病気になったことはつらいことですが、
でも、もしあのまま働き続けていたら、
この大切なことに気付くことができただろうか。
人の気持ちの痛みを感じることができただろうか。
よし!やり直そう!なんとか病気を治して、
もう一度やり直そう!
と心に誓いました。
病気の治癒率は30%、
場合によっては治らない可能性もある。
なかなか病状は良い方向に向かわず、
確率から言えば、治らない可能性の方が高かったのです。
あきらめかけたことも何度かありましたが、
幸運にも30%に入ることができました。


【自分自身の振り返り】
仕事の上では非常に多忙だったあの一時期、
病気になったことで、
かえって私はそれまでの自分を
ゆっくりと見つめ直し、
そしてそれからの自分を考えることができました。
私が病気になったことは、あの時期、
周りを見ることもせず、
自分本位に行動していたことへの
神様からの戒めと、
自分自身を見つめ直す時間の
プレゼントだったような気がします。
今振り返ってみれば、あの入院生活と病気との闘いが、
私の人生のターニングポイントの一つになったのは
間違いないと思います。


ところで、「ホス友」の一人、Tさんが先日、
仕事で京都に来られました。
お互い退院してから一度も会うことなく、
毎年、年賀状のやり取りだけだったのですが、
一度会いましょう、ということになりました。
実に約15年振り。
私達は京都の「お好み焼き屋さん」で会いました。
15年の歳月があっという間に飛んでいきました。
お酒を飲み、お好み焼きを食べながら、
当時のつらかったことや、
その後の互いの生活や人生について語り合いました。
「ホス友、Tさん、お互いに苦しかったですね。
これからもよろしくお願いいたします」

おおいに語り合い、思い出に浸りながら、
長い秋の夜がふけていきました。

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以上が2年前に書いたものです。
思いは今も変わっていません。
あの時、残念ながら旅立たれた方達のためにも、
私は精一杯、生きていこうと思っています。
そして、少しでも多くの人達の
「記憶に残るように」
なっていきたいと思っています。
  


Posted by プリケ at 06:04Comments(4)ひとり言