通夜の席での喪主のあいさつ~「苺」と「艾」~
2008年09月13日
一昨日は父のこと、そして9月9日は漢字の話でしたが、
今日はこれらをミックスした話を書いてみたく思います。
7年前、私の父は他界しました。
通夜の席で喪主である私は、何かひとこと話を
しなければなりませんでした。
何を話そうか迷いましたが、
ちょうどある人から良いお話を聞きました。
それを参考に、私は話をしました。
以下はその時に話した内容の一部です。
「息子にとって、母親とはどのような存在でしょうか。
草かんむりに母と書いて、「苺」(いちご)と読みます。
「苺」は甘酸っぱくおいしい食べ物ですが、
母親というのは何歳になっても、
甘えていたい存在、どこか甘酸っぱい、
ちょうど「苺」のような存在です。
それでは、父とはどのような存在でしょうか。
同じく草かんむりに父と書いて、
「艾」(もぐさ)と読みます(←実は、正確に言うと
<父>ではありませんが、
ここはあえて<父>ととらえてしまいます)。
「艾」は<灸を据える時に燃やす材料>です。
お灸は痛いところ一点に集中、ピンポイントで治療します。
父親というのは、普段は細かいことをうるさくは言いませんが、
ここぞという時にピンポイントで叱ったり、
アドバイスをくれたりする「艾」のような存在です。
私にとっても父は、そんな存在でした」
なかなか通夜の席でこのような話をする人は少ないでしょうが、
こういうことが好きな父は、きっと喜んでいてくれたに
違いないと思っています。
今日はこれらをミックスした話を書いてみたく思います。
7年前、私の父は他界しました。
通夜の席で喪主である私は、何かひとこと話を
しなければなりませんでした。
何を話そうか迷いましたが、
ちょうどある人から良いお話を聞きました。
それを参考に、私は話をしました。
以下はその時に話した内容の一部です。
「息子にとって、母親とはどのような存在でしょうか。
草かんむりに母と書いて、「苺」(いちご)と読みます。
「苺」は甘酸っぱくおいしい食べ物ですが、
母親というのは何歳になっても、
甘えていたい存在、どこか甘酸っぱい、
ちょうど「苺」のような存在です。
それでは、父とはどのような存在でしょうか。
同じく草かんむりに父と書いて、
「艾」(もぐさ)と読みます(←実は、正確に言うと
<父>ではありませんが、
ここはあえて<父>ととらえてしまいます)。
「艾」は<灸を据える時に燃やす材料>です。
お灸は痛いところ一点に集中、ピンポイントで治療します。
父親というのは、普段は細かいことをうるさくは言いませんが、
ここぞという時にピンポイントで叱ったり、
アドバイスをくれたりする「艾」のような存在です。
私にとっても父は、そんな存在でした」
なかなか通夜の席でこのような話をする人は少ないでしょうが、
こういうことが好きな父は、きっと喜んでいてくれたに
違いないと思っています。