そのマスクは何のため?
2020年01月28日
最近マスクをしている人が
多くなったような気がします。
もちろん風邪をひかないように、
インフルエンザが流行っているから、
コロナウィルスから身を守る等々の
理由からだと思いますが。
でも、先日、新聞を読んでいたら、
マスクで自分の表情を隠せるから、
という理由で着用している人もいるとか。
煩わしい人間関係を避けるためにも
自分はなるべく関わらないように
マスクをして表情を隠すとのこと。
いかにも現代の特徴かもしれません。
でも、なんだか残念です。
コミュニケーションを図る上で
非言語の部分も重要ですから。
多くなったような気がします。
もちろん風邪をひかないように、
インフルエンザが流行っているから、
コロナウィルスから身を守る等々の
理由からだと思いますが。
でも、先日、新聞を読んでいたら、
マスクで自分の表情を隠せるから、
という理由で着用している人もいるとか。
煩わしい人間関係を避けるためにも
自分はなるべく関わらないように
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できなくなったことを悔やまない。精一杯、今日を生きること
落合博満氏を阪神タイガースの監督に!!
スマホからガラホに変えました
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返答の第一声は、「そうですね」
「いわゆる」って何で言うんだろう?
ブログを初めて12年
40年ぶりの再会
人生初の年金振込
三日月知事の言葉には賛同しかねる
突然ブログの更新が止まった・・・
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ノストラダムスの大予言、恐怖の大王は新型コロナウィルス?
年金事務所後に至福のひと時
63歳になりました
障害年金、及び特別支給の老齢厚生年金の手続
谷村新司さんに読んでいただいた、私の「ちょっといい話」
アベノマスク、ようやく来た!!
今年の新語・流行語大賞候補
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Posted by プリケ at 00:00│Comments(4)
│ひとり言
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確かにマスクは、サングラスと同じように、自分の意思表示を隠したり、他人との間に壁をつくりますよね。残念です。若い人たちはさみしがり屋のくせに、他人と交わることを拒否したがるのですね。この先どんな社会になるか不安ですね。ひとつ言えることは、このような社会をつくってきたのは僕たちで、責任の一旦は私たちにあるということです。
確かにそうでしょうね。
であるなら、もう一度、やり直せるとしたら、
何をどのようにすれば良かったのか、
これはこれで難しい問題ですね。
一個人として何ができるのか、
欧米先進国に対するキャッチアップの時代を
懸命に生きてきた親の世代、
その後、物に溢れた時代を過ごした我々世代。
それぞれ良かれと思いながら
行動してきたにもかかわらず、
どこかで微妙にズレが
生じてきてしまったその原因は何なのか。
核家族化の進展もその要因の一つだろうし、
デジタル化の進展とそれを使う人間の心の部分の
成熟さのズレもあるのだと思います。
それでは、我々の世代はこれから命尽きるまで
どのように生きていくべきか。
一人の力は微々たるものだけれど、
例えば私は大学生と面談する時、
「こんな大人がいるんだ」
「こんな大人になりたい」
と思ってもらえるような言動を心がけています。
ポイントは「やり方、ノウハウ」のみではなく、
「人としてのあり方」の部分をいかに
伝えられるかだと思っています。
それが失われつつあるような気がします。
感情や心、人情の機微を感じ取ることが
デジタル化の進展と共に
失われつつあるのではないでしょうか。
デジタル化の功罪を問うなら、
残念ながら罪の方が多いと思います。
「昔は良かった」なんて言うと
年寄り扱いされてしまいますが、
欧米先進国という目標を持ち、
夢を追っていた時代の方が
活力があったと思います。
さらに言えば、もっと昔、
例えば江戸時代は当然今より物不足だし、
健康状態も今より悪かったと思いますが、
前述の「感情や心、人情の機微」に
敏感だったと思います。
さて、この先、100年でこの社会は
どう変わっていくのでしょうか。
そして今、私たちは何ができるのでしょうか。
私自身はこの先、平均寿命よりは
長く生きていけない気がしています。
今罹っている癌がやはり私の寿命を
決めるような気がしています。
であるならば、今この年齢だからこそ、
そして昭和という時代を生きてきた私だからこそ
大学生に伝えていけるものがあると確信しています。
私の生き様、人としてのあり方を
伝えていくことこそ、神様が私にこの仕事を
させている意味だと思っています。