この広告は365日以上更新がないブログに表示されます。  

Posted by 滋賀咲くブログ at

6人部屋の病室で鍛えられました

2020年01月20日

これまで何度となく入院してきましたが、
精神的に最も辛かったのは
30歳代前半の経験です。

仕事も波に乗って絶好調の時、
突然医師に言われたひと言。

「入院してください」

まさに青天の霹靂kao12

約2週間程度とのことだったので、
まあ仕方ないな、ちょっとゆっくりしてこよう
ぐらいの軽い気持ちで入院しました病院

病名はウィルス性のC型慢性肝炎。
今とは違って、当時は認知度も低く、
また治療法も確立されていませんでした。

入院し治療を始めましたが、
なかなか改善せず、結果的には
3年半入退院を繰り返すことになりました。

30歳代前半と言えば、
仕事でも若手の中心として
期待される時期です。
当然私の中にも焦りの気持ちが生じましたkao_5
でも、なかなか病状は改善しません。
いつ退院できるのかわからず、
イライラや不安などが入り交じりました。
ゴールがない、エンドレスほど
辛いものはありません。

さて、私が入院していた当時の病室は
6人部屋でしたface08
ベッド間の距離もそれほどなく、
ちょっと息の詰まりそうな感じです。
特に窓側でもなく、廊下側でもない
真ん中のベッドになれば
たまったものではありませんでしたkao_6

当時の病室と今の病室との大きな違いは
カーテンの扱いです。
今はプライバシーを守ることや、
個人主義の考え方から
必ずカーテンを閉め切っています。

しかし当時の病室は基本的にカーテンを
閉めませんでした。
日中から開けっぴろげです。
だから6人が丸見え状態です。
否が応でも、そこにコミュニケーションが
生まれてきます。

3年半も入院していると
本当に様々な人たちに出会えます。
病院近くの商店街のおっちゃん達、
中小企業の社長さん、
一部上場企業の役員さん等々、
基本的には私より年上の人が
約8割を占めていました。
仕事の上でお目にかかる関係ではなく、
互いに病気を抱えて、ナマの自分が
出てくるもっと濃い関係とでも言いましょうか。

まだ30歳過ぎの私にとって、
あの病室での人付き合いは精神的に
辛い時もありました。
なにせ逃げ場所がなく、
寝ても覚めても6人部屋です。
でも、今となっては人生勉強の
場だったと思っています。
ひと癖もふた癖もある、強烈な個性の
人たちとの会話を通じて、
コミュニケーション能力が鍛えられました。

あの時出会った人たちの大半は
もうこの世にいらっしゃらないと思います。
そりゃそうですよね、私が今、あの方たちの
年齢になって入院しているんですから。

あの時にお目にかかった人たちに
今言えることは、「ありがとうございました」
という感謝の言葉です。
みなさまとのハードなやり取りkao08
随分鍛えられましたicon21
みなさまには人生のなんたるかを
教えられた気がしています。

学びの場として、高いお金を支払って
講座を受けることも時には必要でしょう。
でも、どんな状況であっても、
その気になれば学ぶ場所は
あちこちに転がっています。
道を歩いていても、電車に乗っていても、
あらゆる場面で、あらゆる時に。

それに気付くかどうかは本人次第です。
  


Posted by プリケ at 08:26Comments(0)プリケの入院記