「ありがとう」や「すみません」がなぜ言えない!!
2018年04月28日
今日、西武大津店に行った時のこと。
エレベーターは混んでいた。
ロフトが入っている階に着いた時、
ほとんど人がぞろぞろと降り始めた。
すると、ひとりのご婦人が
他の人たちが降り終わるまで
エレベーターの「開く」ボタンを
押し続けていた。
しかし、降りていく人たちの誰一人として
「ありがとう」や「すみません」の
ひと言がない
カチ~~ン

こういうのって、日常の様々な場面で
最近よく見かける。
昔はどうだったか?
今よりはもっと他人への心配りが
あったような気がする。
今は残念ながら、このような当たり前のことを
当たり前にできない世の中に
なってきているような気がしてならない
「相手の立場になって」と言葉で言うのは簡単だ。
しかし、はたして日常の生活の中で
どれくらい相手の立場になって配慮が
出来ているだろうか。
譲る心は備わっているだろうか。
相手を尊重する心を持っているだろうか。
「ありがとう」や「すみません」のひと言。
当たり前のことを当たり前に、
意識することなく自然に日常から継続していく。
だいそれたことでなくてもいい、
自分にできることからやり続けていく。
大人だからこそ
そんな姿をきっと子ども達は見ているに違いない。
エレベーターは混んでいた。
ロフトが入っている階に着いた時、
ほとんど人がぞろぞろと降り始めた。
すると、ひとりのご婦人が
他の人たちが降り終わるまで
エレベーターの「開く」ボタンを
押し続けていた。
しかし、降りていく人たちの誰一人として
「ありがとう」や「すみません」の
ひと言がない

カチ~~ン


こういうのって、日常の様々な場面で
最近よく見かける。
昔はどうだったか?
今よりはもっと他人への心配りが
あったような気がする。
今は残念ながら、このような当たり前のことを
当たり前にできない世の中に
なってきているような気がしてならない

「相手の立場になって」と言葉で言うのは簡単だ。
しかし、はたして日常の生活の中で
どれくらい相手の立場になって配慮が
出来ているだろうか。
譲る心は備わっているだろうか。
相手を尊重する心を持っているだろうか。
「ありがとう」や「すみません」のひと言。
当たり前のことを当たり前に、
意識することなく自然に日常から継続していく。
だいそれたことでなくてもいい、
自分にできることからやり続けていく。
大人だからこそ

そんな姿をきっと子ども達は見ているに違いない。