6人部屋の病室で鍛えられました
2020年01月20日
これまで何度となく入院してきましたが、
精神的に最も辛かったのは
30歳代前半の経験です。
仕事も波に乗って絶好調の時、
突然医師に言われたひと言。
「入院してください」
まさに青天の霹靂
約2週間程度とのことだったので、
まあ仕方ないな、ちょっとゆっくりしてこよう
ぐらいの軽い気持ちで入院しました
病名はウィルス性のC型慢性肝炎。
今とは違って、当時は認知度も低く、
また治療法も確立されていませんでした。
入院し治療を始めましたが、
なかなか改善せず、結果的には
3年半入退院を繰り返すことになりました。
30歳代前半と言えば、
仕事でも若手の中心として
期待される時期です。
当然私の中にも焦りの気持ちが生じました
でも、なかなか病状は改善しません。
いつ退院できるのかわからず、
イライラや不安などが入り交じりました。
ゴールがない、エンドレスほど
辛いものはありません。
さて、私が入院していた当時の病室は
6人部屋でした
ベッド間の距離もそれほどなく、
ちょっと息の詰まりそうな感じです。
特に窓側でもなく、廊下側でもない
真ん中のベッドになれば
たまったものではありませんでした
当時の病室と今の病室との大きな違いは
カーテンの扱いです。
今はプライバシーを守ることや、
個人主義の考え方から
必ずカーテンを閉め切っています。
しかし当時の病室は基本的にカーテンを
閉めませんでした。
日中から開けっぴろげです。
だから6人が丸見え状態です。
否が応でも、そこにコミュニケーションが
生まれてきます。
3年半も入院していると
本当に様々な人たちに出会えます。
病院近くの商店街のおっちゃん達、
中小企業の社長さん、
一部上場企業の役員さん等々、
基本的には私より年上の人が
約8割を占めていました。
仕事の上でお目にかかる関係ではなく、
互いに病気を抱えて、ナマの自分が
出てくるもっと濃い関係とでも言いましょうか。
まだ30歳過ぎの私にとって、
あの病室での人付き合いは精神的に
辛い時もありました。
なにせ逃げ場所がなく、
寝ても覚めても6人部屋です。
でも、今となっては人生勉強の
場だったと思っています。
ひと癖もふた癖もある、強烈な個性の
人たちとの会話を通じて、
コミュニケーション能力が鍛えられました。
あの時出会った人たちの大半は
もうこの世にいらっしゃらないと思います。
そりゃそうですよね、私が今、あの方たちの
年齢になって入院しているんですから。
あの時にお目にかかった人たちに
今言えることは、「ありがとうございました」
という感謝の言葉です。
みなさまとのハードなやり取り
に
随分鍛えられました
みなさまには人生のなんたるかを
教えられた気がしています。
学びの場として、高いお金を支払って
講座を受けることも時には必要でしょう。
でも、どんな状況であっても、
その気になれば学ぶ場所は
あちこちに転がっています。
道を歩いていても、電車に乗っていても、
あらゆる場面で、あらゆる時に。
それに気付くかどうかは本人次第です。
精神的に最も辛かったのは
30歳代前半の経験です。
仕事も波に乗って絶好調の時、
突然医師に言われたひと言。
「入院してください」
まさに青天の霹靂

約2週間程度とのことだったので、
まあ仕方ないな、ちょっとゆっくりしてこよう
ぐらいの軽い気持ちで入院しました

病名はウィルス性のC型慢性肝炎。
今とは違って、当時は認知度も低く、
また治療法も確立されていませんでした。
入院し治療を始めましたが、
なかなか改善せず、結果的には
3年半入退院を繰り返すことになりました。
30歳代前半と言えば、
仕事でも若手の中心として
期待される時期です。
当然私の中にも焦りの気持ちが生じました

でも、なかなか病状は改善しません。
いつ退院できるのかわからず、
イライラや不安などが入り交じりました。
ゴールがない、エンドレスほど
辛いものはありません。
さて、私が入院していた当時の病室は
6人部屋でした

ベッド間の距離もそれほどなく、
ちょっと息の詰まりそうな感じです。
特に窓側でもなく、廊下側でもない
真ん中のベッドになれば
たまったものではありませんでした

当時の病室と今の病室との大きな違いは
カーテンの扱いです。
今はプライバシーを守ることや、
個人主義の考え方から
必ずカーテンを閉め切っています。
しかし当時の病室は基本的にカーテンを
閉めませんでした。
日中から開けっぴろげです。
だから6人が丸見え状態です。
否が応でも、そこにコミュニケーションが
生まれてきます。
3年半も入院していると
本当に様々な人たちに出会えます。
病院近くの商店街のおっちゃん達、
中小企業の社長さん、
一部上場企業の役員さん等々、
基本的には私より年上の人が
約8割を占めていました。
仕事の上でお目にかかる関係ではなく、
互いに病気を抱えて、ナマの自分が
出てくるもっと濃い関係とでも言いましょうか。
まだ30歳過ぎの私にとって、
あの病室での人付き合いは精神的に
辛い時もありました。
なにせ逃げ場所がなく、
寝ても覚めても6人部屋です。
でも、今となっては人生勉強の
場だったと思っています。
ひと癖もふた癖もある、強烈な個性の
人たちとの会話を通じて、
コミュニケーション能力が鍛えられました。
あの時出会った人たちの大半は
もうこの世にいらっしゃらないと思います。
そりゃそうですよね、私が今、あの方たちの
年齢になって入院しているんですから。
あの時にお目にかかった人たちに
今言えることは、「ありがとうございました」
という感謝の言葉です。
みなさまとのハードなやり取り

随分鍛えられました

みなさまには人生のなんたるかを
教えられた気がしています。
学びの場として、高いお金を支払って
講座を受けることも時には必要でしょう。
でも、どんな状況であっても、
その気になれば学ぶ場所は
あちこちに転がっています。
道を歩いていても、電車に乗っていても、
あらゆる場面で、あらゆる時に。
それに気付くかどうかは本人次第です。
入院生活を少しでも快適に過ごす方法
2020年01月18日
誰でも入院というのは嫌なものです。
自由はないし、基本的に食事もおいしくない。
場合によっては、治療に痛みが伴う。
良いことなんて全然ありません。
少しでも早く退院したいと思います。
重い病気とか家庭に事情がある等、
特別な理由がない限り、
できれば入院はしたくありません。
でも、入院せざるを得ないことって
人間誰でもあるものです。
ではそんな時、どうすれば辛い入院生活を
少しでも快適に過ごすことができるでしょうか。
いろいろな方法があると思いますし、
人それぞれ工夫されていることと思います。
では、私はどうしてきたか。
私は30歳代の頃から何度なく
いろいろな病院で入院を経験してきましたが、
実は最近、嫌で嫌で仕方がない
とも言えなくなってきたのです。
基本は嫌なんです。
でも、そのレベルが以前ほどではない
ということです。
どうすれば嫌な入院生活を
少しでも快適に過ごせるか。
私のこれまでの度重なる入院経験から
言えることは実はとっても簡単なことなんです。
でも、あたりまえのことゆえ、
意外にできていないものなんです。
それは・・・
「ありがとう!」
「ありがとうございます!」
と感謝の言葉を言い続けることなんです。
もちろん、表情やトーンも大事です。
単に感謝の言葉を言えばよい
というものではありません。
たとえば・・・
看護師さんが血圧を測り終えた時に、
「ありがとう!」
看護師さんに採血をしてもらった際に、
「ありがとうございます!」
看護助手さんが食事を運んできてくれた際、
「ありがとうございます!」
医療事務の人に何か教えてもらった時に
「ありがとうございます!」
こういうのをその都度、言い続けることです。
できれば、ありがとうの後に、
何かひと言付け加えられればベターです。
人によっては、仕事だからあたりまえのことで、
わざわざ礼を言う必要などないとか、
無愛想にしている人もいますが、
看護師さんだって人間です。
感情があり、気持ちの落ち込みだってあります。
イライラしている時とか体調の悪い日もあるでしょう。
でも、そんな時に優しい口調、笑顔で
感謝の言葉を言われたらどうでしょう。
あの患者さんはいつも「ありがとう」と
言ってくれるという思いは、
いきおい看護師さんの仕事ぶりに表れてきます。
大切なことは、「自分がされて嫌なことはしない。
自分がされて心地良いことをする」ということです。
実はこれ、マナーそのものです。
とすれば、感謝の言葉を言い続けることは
どんな場面でも活かせますよね。
どんな職場でも、夫婦間でもちょっとしたことに
感謝の言葉を伝えることって大切です。
たとえば、職場で入社後間もない女性が
オフィスの掃除をいつもしていたとします。
それをあたりまえとして何も言わない
上司(特に年配の男性)の何と多いことでしょう。
そんな時、「〇〇さん、いつも綺麗にしてくれて
ありがとう。〇〇さんのおかげで、いつも清潔で
気持ちよく仕事に取り組めるよ」、
なんていうひと言があったらどうでしょうか。
その女性スタッフは「あっ!ちゃんと見て
もらっていた。また頑張ろう」という気持ちに
なりますよね。
このようなちょっとしたあたりまえの気遣い、
心配りが職場を風通しの良い場所に
していくのだと思います。
さて、話を入院生活に戻しましょう。
病院でも同じで、看護師さん等に
そのような接し方を続けていると、
明らかに対応が変わってきます。
これは何度となく入院を経験している私の
実体験から言えることです。
ある時、看護師さんに言われました。
「いつも優しい言葉をかけてもらって
ありがとうございます。
しんどい中なのに、私たちへのそうした気遣い、
とってもうれしいです」
やっぱり伝わっていました。
こうした雰囲気づくりができれば
もうしめたものです。
病院スタッフの人たちにそういうのって
伝わっていくんです。
このようなこと、職場でも同じですよね。
どうすればうまく自分の居場所を作れるか。
特別なノウハウや難しいことではなく、
あたりまえのことをあたりまえに
やり続けることだと思います。
あっ!なんか、いつもの研修みたいに
なってきました
今回はこのへんでやめておきます。
でも、ようやく来週から仕事に復帰して、
このような話ができると思うと
ワクワクしてきます
自由はないし、基本的に食事もおいしくない。
場合によっては、治療に痛みが伴う。
良いことなんて全然ありません。
少しでも早く退院したいと思います。
重い病気とか家庭に事情がある等、
特別な理由がない限り、
できれば入院はしたくありません。
でも、入院せざるを得ないことって
人間誰でもあるものです。
ではそんな時、どうすれば辛い入院生活を
少しでも快適に過ごすことができるでしょうか。
いろいろな方法があると思いますし、
人それぞれ工夫されていることと思います。
では、私はどうしてきたか。
私は30歳代の頃から何度なく
いろいろな病院で入院を経験してきましたが、
実は最近、嫌で嫌で仕方がない
とも言えなくなってきたのです。
基本は嫌なんです。
でも、そのレベルが以前ほどではない
ということです。
どうすれば嫌な入院生活を
少しでも快適に過ごせるか。
私のこれまでの度重なる入院経験から
言えることは実はとっても簡単なことなんです。
でも、あたりまえのことゆえ、
意外にできていないものなんです。
それは・・・
「ありがとう!」
「ありがとうございます!」
と感謝の言葉を言い続けることなんです。
もちろん、表情やトーンも大事です。
単に感謝の言葉を言えばよい
というものではありません。
たとえば・・・
看護師さんが血圧を測り終えた時に、
「ありがとう!」
看護師さんに採血をしてもらった際に、
「ありがとうございます!」
看護助手さんが食事を運んできてくれた際、
「ありがとうございます!」
医療事務の人に何か教えてもらった時に
「ありがとうございます!」
こういうのをその都度、言い続けることです。
できれば、ありがとうの後に、
何かひと言付け加えられればベターです。
人によっては、仕事だからあたりまえのことで、
わざわざ礼を言う必要などないとか、
無愛想にしている人もいますが、
看護師さんだって人間です。
感情があり、気持ちの落ち込みだってあります。
イライラしている時とか体調の悪い日もあるでしょう。
でも、そんな時に優しい口調、笑顔で
感謝の言葉を言われたらどうでしょう。
あの患者さんはいつも「ありがとう」と
言ってくれるという思いは、
いきおい看護師さんの仕事ぶりに表れてきます。
大切なことは、「自分がされて嫌なことはしない。
自分がされて心地良いことをする」ということです。
実はこれ、マナーそのものです。
とすれば、感謝の言葉を言い続けることは
どんな場面でも活かせますよね。
どんな職場でも、夫婦間でもちょっとしたことに
感謝の言葉を伝えることって大切です。
たとえば、職場で入社後間もない女性が
オフィスの掃除をいつもしていたとします。
それをあたりまえとして何も言わない
上司(特に年配の男性)の何と多いことでしょう。
そんな時、「〇〇さん、いつも綺麗にしてくれて
ありがとう。〇〇さんのおかげで、いつも清潔で
気持ちよく仕事に取り組めるよ」、
なんていうひと言があったらどうでしょうか。
その女性スタッフは「あっ!ちゃんと見て
もらっていた。また頑張ろう」という気持ちに
なりますよね。
このようなちょっとしたあたりまえの気遣い、
心配りが職場を風通しの良い場所に
していくのだと思います。
さて、話を入院生活に戻しましょう。
病院でも同じで、看護師さん等に
そのような接し方を続けていると、
明らかに対応が変わってきます。
これは何度となく入院を経験している私の
実体験から言えることです。
ある時、看護師さんに言われました。
「いつも優しい言葉をかけてもらって
ありがとうございます。
しんどい中なのに、私たちへのそうした気遣い、
とってもうれしいです」
やっぱり伝わっていました。
こうした雰囲気づくりができれば
もうしめたものです。
病院スタッフの人たちにそういうのって
伝わっていくんです。
このようなこと、職場でも同じですよね。
どうすればうまく自分の居場所を作れるか。
特別なノウハウや難しいことではなく、
あたりまえのことをあたりまえに
やり続けることだと思います。
あっ!なんか、いつもの研修みたいに
なってきました

今回はこのへんでやめておきます。
でも、ようやく来週から仕事に復帰して、
このような話ができると思うと
ワクワクしてきます

正式に土曜日の退院が決まりました
2020年01月10日
主治医の先生から正式に
土曜日に退院してよい許可をいただきました。
まだ右耳帯状疱疹の後遺症は残っていますが、
自宅に帰れるのは素直に嬉しいです。
今回の入院期間中の担当看護師さんも
広瀬すずちゃん(似)でした。
今回も時間の合間をみて、
いろいろなことを話せました。
そして昨日は、退院してからの
抜針手順をすずちゃんが
実践を交えてレクチュアしてくれました。
受講生は妻と私です。
今回もすずちゃんをはじめ、
たくさんの人たちのあたたかい
親身になった看護に助けられました。
辛い時、落ち込みそうになった時、
いつも近くにいて、
スタンバイスマイルを忘れず
対応していただけました。
弱っている私にどのような声がけ、トーン、
表情が心を穏やかにするのか、
あらためて学ぶことの多かった入院でした。
今後の講師としての仕事におおいに
活かすことができそうです。
また、仕事だけではなく、日常生活にも
役立つことが多々ありました。
この場を借りまして、今回巡り会ったみなさまに
お礼を申し上げたいと思います。
みなさま、本当にありがとうございました。
土曜日に退院してよい許可をいただきました。
まだ右耳帯状疱疹の後遺症は残っていますが、
自宅に帰れるのは素直に嬉しいです。
今回の入院期間中の担当看護師さんも
広瀬すずちゃん(似)でした。
今回も時間の合間をみて、
いろいろなことを話せました。
そして昨日は、退院してからの
抜針手順をすずちゃんが
実践を交えてレクチュアしてくれました。
受講生は妻と私です。
今回もすずちゃんをはじめ、
たくさんの人たちのあたたかい
親身になった看護に助けられました。
辛い時、落ち込みそうになった時、
いつも近くにいて、
スタンバイスマイルを忘れず
対応していただけました。
弱っている私にどのような声がけ、トーン、
表情が心を穏やかにするのか、
あらためて学ぶことの多かった入院でした。
今後の講師としての仕事におおいに
活かすことができそうです。
また、仕事だけではなく、日常生活にも
役立つことが多々ありました。
この場を借りまして、今回巡り会ったみなさまに
お礼を申し上げたいと思います。
みなさま、本当にありがとうございました。
抗がん剤の副作用が少し出ています
2020年01月09日
一昨日のポート挿入後、
昨日から新しい抗がん剤治療が
始まりました。
抗がん剤はポートを通して入れていきます。
今回の抗がん剤はかなり長い時間をかけて
点滴投与されます。
昨日は11時30分頃からスタートし、
17時頃終了。
これで終わりならまだしも、
その後は首からボトルをぶらさげて
46時間かけて抗がん剤を少しずつ
入れていきます。
このボトルをさげて仕事をしている人も
いらっしゃるようです。
副作用は昨夜から今日にかけて少し出ています
軽い吐き気と発汗、腹痛です。
あとは帯状疱疹の後遺症かもしれませんが、
頭痛に悩まされています。
やはり抗がん剤、恐るべし
昨日から新しい抗がん剤治療が
始まりました。
抗がん剤はポートを通して入れていきます。
今回の抗がん剤はかなり長い時間をかけて
点滴投与されます。
昨日は11時30分頃からスタートし、
17時頃終了。
これで終わりならまだしも、
その後は首からボトルをぶらさげて
46時間かけて抗がん剤を少しずつ
入れていきます。
このボトルをさげて仕事をしている人も
いらっしゃるようです。
副作用は昨夜から今日にかけて少し出ています

軽い吐き気と発汗、腹痛です。
あとは帯状疱疹の後遺症かもしれませんが、
頭痛に悩まされています。
やはり抗がん剤、恐るべし

タグ :抗がん剤
い、痛い〜(泣)甘くみていたポート挿入手術
2020年01月08日
予定通り昨日入院し、ポートを身体に
埋め込む「簡単な」手術を受けました。
30分〜40分で済むということだったので
楽勝、楽勝と軽〜く考えていました。
「もし痛かったら、その時は言ってくださいね」
と看護師さん。
まあそれほどのこともないだろうと
「わかりました」と明るく返答。
さらに、これまで病気に関して
何度か痛い目にあってきましたが、
なんとか乗り越えてきたという
自負もありました。
ところが、ところがギッチョンチョン。
「い、痛〜い

」
昨日は何度この言葉を発したことでしょう。
ホンマに痛かった
久しぶりに大人でも声をあげるほどの
痛みを感じました。
昨夜は何度も痛み止めの点滴をしてもらい、
寝苦しい夜を過ごし、そして一夜明けて今、
まだ痛みは残っています。
幸い出血とか腫れはないので、
予定通り今日から新しい抗がん剤治療が始まります。
(追伸)
ポートの痛みは個人差があります。
これからポートを入れる予定のみなさま、
私のような痛みがあるとは
必ずしも言えません。
埋め込む「簡単な」手術を受けました。
30分〜40分で済むということだったので
楽勝、楽勝と軽〜く考えていました。
「もし痛かったら、その時は言ってくださいね」
と看護師さん。
まあそれほどのこともないだろうと
「わかりました」と明るく返答。
さらに、これまで病気に関して
何度か痛い目にあってきましたが、
なんとか乗り越えてきたという
自負もありました。
ところが、ところがギッチョンチョン。
「い、痛〜い



昨日は何度この言葉を発したことでしょう。
ホンマに痛かった

久しぶりに大人でも声をあげるほどの
痛みを感じました。
昨夜は何度も痛み止めの点滴をしてもらい、
寝苦しい夜を過ごし、そして一夜明けて今、
まだ痛みは残っています。
幸い出血とか腫れはないので、
予定通り今日から新しい抗がん剤治療が始まります。
(追伸)
ポートの痛みは個人差があります。
これからポートを入れる予定のみなさま、
私のような痛みがあるとは
必ずしも言えません。
入院中の不思議な体験→臨死体験?
2018年10月11日
心も身体も徐々に
落ち着いてきたので、
今回は、今だからこそ書ける話を・・・
あれは手術後のこと。
何度か「その世界」を目にしました。
それは手術当日の夜、
そして術後2~3日間での出来事です。
病室で術後の痛みと闘いながら
寝ていた時のこと。
突然私の目の前に
光輝く世界が現れました。
そこは、目をあけていられないほどの
光が満ち溢れていました


術後2~3日の間、
何度か「その世界」が現れ、
そのたびに、そこがどこかを
見ようとするのですが、
まぶしすぎてはっきりと
見えないんです。
しばらくすると、
「オ~イ、オ~イ!」と
私を呼ぶ声がしました。
毎回、そうなんですが、
私が答えようとすると
目の前の光景が病室の天井に
変わってしまいます。
つまり現実の世界に
引き戻されるわけです。
あれは何だったのでしょうか。
光輝く光景は「あちらの世界」なのか、
そして私を呼ぶ声は、あちらの世界から
呼ぶ声なのか、それとも「まだあちらに
行くのはちょっと早いよ」と現実の世界に
引き戻す声だったのでしょうか。
その後、私が回復してくると、
もう2度とあの光輝く世界は
現れることはありませんでした。
これが、いわゆる臨死体験とすれば、
いつか命尽きる時、またあの世界が
現れるのかもしれません。
落ち着いてきたので、
今回は、今だからこそ書ける話を・・・
あれは手術後のこと。
何度か「その世界」を目にしました。
それは手術当日の夜、
そして術後2~3日間での出来事です。
病室で術後の痛みと闘いながら
寝ていた時のこと。
突然私の目の前に
光輝く世界が現れました。
そこは、目をあけていられないほどの
光が満ち溢れていました



術後2~3日の間、
何度か「その世界」が現れ、
そのたびに、そこがどこかを
見ようとするのですが、
まぶしすぎてはっきりと
見えないんです。
しばらくすると、
「オ~イ、オ~イ!」と
私を呼ぶ声がしました。
毎回、そうなんですが、
私が答えようとすると
目の前の光景が病室の天井に
変わってしまいます。
つまり現実の世界に
引き戻されるわけです。
あれは何だったのでしょうか。
光輝く光景は「あちらの世界」なのか、
そして私を呼ぶ声は、あちらの世界から
呼ぶ声なのか、それとも「まだあちらに
行くのはちょっと早いよ」と現実の世界に
引き戻す声だったのでしょうか。
その後、私が回復してくると、
もう2度とあの光輝く世界は
現れることはありませんでした。
これが、いわゆる臨死体験とすれば、
いつか命尽きる時、またあの世界が
現れるのかもしれません。
入院中のある日の看護師さんと私の会話
2018年09月27日
約1ヶ月ぶりに電車に乗りました
2018年09月26日
病室にずっと居ると色々なことを
考えてしまいます。
余計なことや不必要なことまで
考えてしまいブルーになって
しまうこともあります
そんな時、私はよく病室の窓からの
景色を眺めていました
私が入院していた病室からは、
通勤でよく使っていた
京阪電車の走る姿が見えました。
その姿を見るにつけ、
「元気になって、必ずまたあの電車に乗る!」
と思ったものです。
そしてその夢がようやく昨日、実現しました。
電車に乗るのは約1か月ぶり。
健康な時はまったく感じないのですが、
病気になって行動に制限が
かかることを経験すると、
自由に動けるようになった時の
喜びは言葉に言い表せません。
京阪電車から私が過ごした
病室を眺めました
感無量でした。
「ありがとう」と心の中でつぶやきました。
その後、疲れない範囲内で
京都のCDショップや本屋巡りをしながら
京都の古い町並みを歩きました
一歩一歩、感謝の気持ちをかみしめながら。
考えてしまいます。
余計なことや不必要なことまで
考えてしまいブルーになって
しまうこともあります

そんな時、私はよく病室の窓からの
景色を眺めていました

私が入院していた病室からは、
通勤でよく使っていた
京阪電車の走る姿が見えました。
その姿を見るにつけ、
「元気になって、必ずまたあの電車に乗る!」
と思ったものです。
そしてその夢がようやく昨日、実現しました。
電車に乗るのは約1か月ぶり。
健康な時はまったく感じないのですが、
病気になって行動に制限が
かかることを経験すると、
自由に動けるようになった時の
喜びは言葉に言い表せません。
京阪電車から私が過ごした
病室を眺めました

感無量でした。
「ありがとう」と心の中でつぶやきました。
その後、疲れない範囲内で
京都のCDショップや本屋巡りをしながら
京都の古い町並みを歩きました

一歩一歩、感謝の気持ちをかみしめながら。
入院中は我慢との闘いでした
2018年09月17日
病気を治すためとはいえ、
入院中は我慢しなければならない
ことが多々ありました
ここで書ける範囲で以下挙げてみると・・・。
手術用や生検用の点滴の針が痛い
↓
通常よりは太めの針を刺します。
今回の手術前後の中で、
最も痛さを感じました
手術後、様々な管を抜く時
↓
特に、鼻や尿管に入っていたものを
抜く時は痛みや不快感がありました
手術後間もない頃、たくさんの管が
入っているため、トイレに行く時が一苦労
↓
特にまだ動けない時、ベッドの上で
お願いしますと言われても
↓
それは無理
手術後の発熱
↓
私の場合、3日間続きました
でも、個人差があるようで、
発熱しない人もいるとか。
もちろん、手術の内容にもよると思います。
以上、主なものですが、
他にもまだまだたくさんありました。
ここではすべてを書くわけにはいきませんが・・・。
いずれにしても、入院中は
我慢との闘いでした。
入院中は我慢しなければならない
ことが多々ありました

ここで書ける範囲で以下挙げてみると・・・。
手術用や生検用の点滴の針が痛い

↓
通常よりは太めの針を刺します。
今回の手術前後の中で、
最も痛さを感じました

手術後、様々な管を抜く時
↓
特に、鼻や尿管に入っていたものを
抜く時は痛みや不快感がありました

手術後間もない頃、たくさんの管が
入っているため、トイレに行く時が一苦労
↓
特にまだ動けない時、ベッドの上で
お願いしますと言われても

↓
それは無理

手術後の発熱
↓
私の場合、3日間続きました

でも、個人差があるようで、
発熱しない人もいるとか。
もちろん、手術の内容にもよると思います。
以上、主なものですが、
他にもまだまだたくさんありました。
ここではすべてを書くわけにはいきませんが・・・。
いずれにしても、入院中は
我慢との闘いでした。
退院の日を迎えて
2018年09月07日
退院日の朝を迎えています。
8月17日に入院し3週間、
多くの方々に大変お世話になりました。
お医者様は当然ながら、
看護師のみなさん、医療事務の方、
部屋を毎日清掃していただいた方々、
食事を運んでいただいた方々、
管理栄養士さん、
ガン患者支援セクションの方、
みなさん私の命の恩人です。
このような多くの方々の
チームプレイ、支えがあってこそ、
今日この日を迎えることができました。
本当にみなさま、ありがとうございました。
また、入院中、病友もできました。
退院後、いつか将来、また出会って、
この入院の日々を懐かしむことが
きっとあると思います。
入院生活を過ごしたこの病室にも
お世話になりました。
苦しみうなっていた時も、
痛くて眠れない夜も、
いつもあたたかく見守ってくれました。
今日まで関わっていただきました
病院関係者のみなさま!
本当にありがとうございました!!
8月17日に入院し3週間、
多くの方々に大変お世話になりました。
お医者様は当然ながら、
看護師のみなさん、医療事務の方、
部屋を毎日清掃していただいた方々、
食事を運んでいただいた方々、
管理栄養士さん、
ガン患者支援セクションの方、
みなさん私の命の恩人です。
このような多くの方々の
チームプレイ、支えがあってこそ、
今日この日を迎えることができました。
本当にみなさま、ありがとうございました。
また、入院中、病友もできました。
退院後、いつか将来、また出会って、
この入院の日々を懐かしむことが
きっとあると思います。
入院生活を過ごしたこの病室にも
お世話になりました。
苦しみうなっていた時も、
痛くて眠れない夜も、
いつもあたたかく見守ってくれました。
今日まで関わっていただきました
病院関係者のみなさま!
本当にありがとうございました!!