作家の山崎豊子さんと父からの電話
2013年10月01日
作家の山崎豊子さんが
お亡くなりになった。
私が社会人になったのは
今から約33年前。
入社式の前日の夜のことでした。
京都に住む父から
1本の電話が入りました。
「明日から社会人だな。
一つだけ伝えておきたいことがある。
本をよく読め。本はいいぞ。
おまえはこれから社会人として
色々なことを経験するだろう。
多くの人にも出会うだろう。
壁にぶつかることもある。
裏切られることがあるかもしれない。
人を愛することもあろう。
悩み悩んで夜も寝られないこともあろう。
そんな時、本はお前をきっと
助けてくれる。
ジャンルは何でもよいが、
小説はいいぞ。
お前とは全く違う人生を歩む
主人公から見習うべきことも
きっとあるに違いない。
本をたくさん読みなさい。
いつかこの意味がわかる時が
きっと来る」
このような内容の電話でした。
しかし、正直に言うと、
私はこの父の言葉のありがたさが
その時はもうひとつわかりませんでした。
入社してから日々の業務に
追われましたが、
それでも、通勤の行き帰り、
電車の中で何冊もの本を
読むことだけは続けていました。
やがて日々の仕事に慣れ始めると、
悩み、考えることも多くなり始めました。
そもそも自分はこの仕事に
合っているのだろうか。
自分はどういう人生を
送っていきたいのか。
働くって何だろうか等々。
あれこれ考えることが多くなり、
イライラしたりストレスも
たまり始めました。
そんな時、よく読んでいたのが
山崎豊子さんの小説でした。
「不毛地帯」
「白い巨塔」
「華麗なる一族」
「大地の子」
「二つの祖国」
等々。
綿密な取材のもとに
出来上がった作品の数々は、
満員の通勤電車の苦痛を
忘れさせるほど
興味深いものでした。
どの作品にも
はまってしまいましたが、
特に「不毛地帯」は、
まだ若かった私には
学ぶべきところが多々ありました。
この小説を読んでいた当時、
私はある壁にぶち当たっていたのですが、
主人公の壱岐氏の生き方には
感銘を受けました。
その時、初めて、あの入試式前夜の
父の言葉の意味がわかりました。
そんな思い入れのある作品の
作家である山崎豊子さんの
訃報を知りました。
残念でなりません。
もっともっと多くの作品を読みたかった。
若い頃からあなたのファンだった。
また<昭和>が一つ、終わった気持ちです。
お亡くなりになった。
私が社会人になったのは
今から約33年前。
入社式の前日の夜のことでした。
京都に住む父から
1本の電話が入りました。
「明日から社会人だな。
一つだけ伝えておきたいことがある。
本をよく読め。本はいいぞ。
おまえはこれから社会人として
色々なことを経験するだろう。
多くの人にも出会うだろう。
壁にぶつかることもある。
裏切られることがあるかもしれない。
人を愛することもあろう。
悩み悩んで夜も寝られないこともあろう。
そんな時、本はお前をきっと
助けてくれる。
ジャンルは何でもよいが、
小説はいいぞ。
お前とは全く違う人生を歩む
主人公から見習うべきことも
きっとあるに違いない。
本をたくさん読みなさい。
いつかこの意味がわかる時が
きっと来る」
このような内容の電話でした。
しかし、正直に言うと、
私はこの父の言葉のありがたさが
その時はもうひとつわかりませんでした。
入社してから日々の業務に
追われましたが、
それでも、通勤の行き帰り、
電車の中で何冊もの本を
読むことだけは続けていました。
やがて日々の仕事に慣れ始めると、
悩み、考えることも多くなり始めました。
そもそも自分はこの仕事に
合っているのだろうか。
自分はどういう人生を
送っていきたいのか。
働くって何だろうか等々。
あれこれ考えることが多くなり、
イライラしたりストレスも
たまり始めました。
そんな時、よく読んでいたのが
山崎豊子さんの小説でした。
「不毛地帯」
「白い巨塔」
「華麗なる一族」
「大地の子」
「二つの祖国」
等々。
綿密な取材のもとに
出来上がった作品の数々は、
満員の通勤電車の苦痛を
忘れさせるほど
興味深いものでした。
どの作品にも
はまってしまいましたが、
特に「不毛地帯」は、
まだ若かった私には
学ぶべきところが多々ありました。
この小説を読んでいた当時、
私はある壁にぶち当たっていたのですが、
主人公の壱岐氏の生き方には
感銘を受けました。
その時、初めて、あの入試式前夜の
父の言葉の意味がわかりました。
そんな思い入れのある作品の
作家である山崎豊子さんの
訃報を知りました。
残念でなりません。
もっともっと多くの作品を読みたかった。
若い頃からあなたのファンだった。
また<昭和>が一つ、終わった気持ちです。